2018.11.18

『 石が叫び出す前に 』ルカによる福音書19:35〜44)
 本日の御言葉には3つの違う声が入り混じっています。まずイエスをメシアと信じ迎える民衆たちの讃美の声、次にその民衆の声を否定するファリサイ派の人々の不信仰の抗議、そしてファリサイ派への主イエスの厳しい警告と泣き声です。
 主イエスエルサレムに入城されます。子ロバに乗った、世界の平和の王としての入城です。その時、主イエスを迎え入れた人々は声高らかに「ホザナ」と讃美していました。ユダの王であり、歴史の主人公である主イエスの前にはレッドカーペットもありませんでした。そこにあったのは、喜んで自分が着ていた服を脱ぎ、子ロバの上にかけたり、また主イエスが進んで行かれる道に自分たちの服で敷いたりする人々の献身でした。誰か一人だけの献身では主の歩まれる道を備えることはできなかったでしょう。しかし、主イエスへの愛と信仰を共にする人々の献身によって主イエスの道は十分に備えられました。それに続く民衆たちの「ホサナ」の讃美の声は主イエスをいかに喜ばせたことでしょうか。誰かに指示されたわけではない、彼らは主イエスへの信仰と愛をもって心からの讃美を献げているのです。その時の讃美の内容を見てみましょう。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。」(38)…皆さん、この言葉、どこかで見た覚えはありませんか。・・・そうです。主イエスの降誕の時、天使たちが歌っていた言葉と似ているのです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」。…すなわち、主イエスのお誕生と十字架は一つにつながっていることが示されているのでしょう。そして、クリスマスと十字架の時は声高らかに讃美すべき時であるということも。
 その讃美の声があまりにも大きかったのでしょうか。ファリサイ派の人たちが不満の声を主イエスにぶつけ抗議します。「先生、お弟子たちを叱ってください」(39)と。…恐らく彼らは民衆たちが主イエスを「メシアとしての王」と叫ぶ言葉に同意できず、民衆たちの行動が気に入らなかったのでしょう。そのファリサイ派の人々の訴えに主イエスは象徴的な言葉をもって答えられます。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。」(40)…この「叫び出す」と言う言葉はカラスの泣き声から由来した言葉で、“大声で泣き叫ぶ、動物の泣き声、出産の時の叫び、戦争の時の歓声”などに用いられます。それほど、石の叫び出す声が強烈で激しいことを表しているのです。
 主イエスは道端の石さえも用いて讃美の列に加えてくださるお方です。神の民が主イエスを讃美すべき特別な時があります。その時讃美できなければ、神は命のない石さえも用いて主の御業を成し遂げられるでしょう。
 神の家族はいかがでしょうか。主イエスがメシア救い主であり、讃美すべき方であることを表すべき時に、周りを意識してはいませんか。私たちの代わりに石が叫び出す前に、いや石の叫びまでも呼び起こすほどの信仰告白の讃美を献げようではありませんか。ハレルヤ!