2011.6.25 『チャペルコンサート』

『 空の鳥、野の花を見なさい 』(マタイによる福音書6:25〜33)
 
何のために生きているのだろう
何を喜びとしたらよいのだろう
これからどうなるのだろう
その時、私の横にあなたが一枝の花を置いてくれた
力をぬいて 重みのままに咲いている 美しい花だった
          ― 星野富弘「にせアカシア」―

梅雨入りしたことで、渇いていた大地が命の雨を吸い込み、命の歓声を上げている近頃です。自然界に目を向けると、“神のなさることはすべて時に適って美しい”という聖書の言葉が一時も間違ったことなく実現していることをしみじみ感じることができます。
 今日の聖書の御言葉でイエス様は、毎日の生きることへの不安を抱いている人々に向かって、“何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようか”と思い悩むな!と声をかけておられます。そしてその神の約束の証拠として、“空の鳥をよく見、野の花を注意して見なさい”と教えてくださいます。“種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしないのに養われている空の鳥”、また、“働きもせず、紡ぎもしないのに美しく着飾っている野の花”。彼らは養われて生きている、いや、養われるだけでなく美しく輝きながら生きている。目には見えないけれども、創造者なる神の御手が今もなお鳥を養い、花を育ててくださることを生き生きと証ししているのです。まして、神の子どもとされたあなたとわたしを養い、生かしてくださらないはずがない。だから、いたずらに思い悩むことをやめ、創造者なる神の約束と御手の働きを信頼して今日を生きることこそ、神に愛される人としての生き方であるのです。 
 家庭の問題、健康の問題、お金の問題、仕事の問題、人間関係のトラブルなどなど、思い悩まない人は誰一人いないことでしょう。そんなわたしたちに聞こえてくるイエス様の声に耳を傾けましょう。“空の鳥、野の花を見なさい。そして、生きる希望を見出しなさい!”。