2014.8.17 平和礼拝

『 平和を作り出す人々は幸いです② 』(マタイによる福音書5:3〜10)
 本日は「平和を実現する人々に約束されている幸い」を見てみましょう。
「その人は、神の子と呼ばれる!」(9節)
 「神の子」を表すギリシャ語は「フィオス」と言います。この言葉の意味は、「相続する者」です。即ち、「神の国の相続者」なのです。そして、「呼ばれる」という言葉の意味は、「認められる、その身分を受ける、そのように見なされる」ということです。
 神の家族の皆さんは「誰の子」と呼ばれたいでしょうか。権力者の子ども、お金持ちの子どもと呼ばれたいでしょうか。しかし、それらの称号は、少しの間だけ存在し消えてしまう草のような空しいものです。しかし、平和を実現していく人、イエス・キリストの十字架の橋をかける者として生きる人は、「神の子」と呼ばれるようになる、これこそ、永遠に変わることのない呼び名であり、変わることのない祝福を抱くことになるのです。それは、私たちが神の赦しと平和を実現するために神と人との間に最善をもって生きる時、神の子らしくなると言う意味なのです。ただ神の子というタイトルに満足するのでなく、神の子として、父なる神の平和実現という御心を生きることで神の子にふさわしい存在になるのです。また、イエス様の十字架が神と罪人との縦の関係を和解させただけでなく、人と人という横の関係においても真の和解を実現されたことをぜひ、心に留めていただきたいのです。
 あなたの家族が、あなたの職場の同僚が、あなたの隣人が、あなたを見てイエス様の姿を見出し、父なる神の現存を見ることができるのであれば、それほど素晴らしいことがあるでしょうか。それこそ伝道であり、神の国を今生きる幸いな人の姿なのです。
 今世界は平和を実現するために最善を尽くして生きる神の子どもたちを待ち望んでいます。その人は、イエス・キリストの十字架を背負い、イエス様の十字架を通して自分を見、隣人を見る人です。イエス様に赦された者として隣人を赦す人です。ハレルヤ!
“主よ、わたしを平和の器とならせてください。”