2015.1.25

 『悔い改めから始めましょう』 (マルコ1:14〜15)
ヨハネが捕らえられた後、イエスガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。”(マルコ1:14〜15)
 メシアとして公の働きを始められた時の第一声、何かを始める時の第一声の言葉はその人のこれからの働きと歩みの主題や目的、ビジョンを示す大切なものとなります。イエス様の第一声においてもご自身がこれから目指していくメッセージの主題、働きの目的などがはっきりと明かされているのです。
 まず、「時は満ちた」と宣言されます。ここで時という言葉のギリシャ語が「カイロス」という言葉です。この言葉は神の救いの御業が始まる決定的な時点、点となる時の意味です。ギリシャ語において一般的に流れていく時間をクロノスと言いますが、これは時間を線として表す言葉です。ですから、この箇所の「時が満ちた」とは、特別な神の御業が現される時がすぐ目の前に来たということを宣言されているのです。神はいつも時に適って恵みを与え、時に適って御業を成していかれます。
 次に、「神の国が近づいた」と宣言されました。エス様の働きの主題こそ、神の国でありましたし、この主題こそ旧約と新約をつないでくれる信仰の内容であります。神の国は王なる神様の支配、すなわち、創造者であり永遠なる神の統治を意味する言葉です。ここでの「近づいた」ということは神の独り子であるイエス・キリストがいよいよ人々の前に現れることを意味しています。
 最後に、言われたのが「悔い改めて福音を信じなさい」との叫びでした。「悔い改め」とは、180度の生き方の変革を表す言葉です。今までは神なしに罪の中で自分勝手な人生を生きてきたことを認め、これからは昔の自分をイエス・キリストの十字架につけて、過去の自分との断絶を宣言し、イエス・キリストの罪の赦しをいただいた神の子どもとして生きることを信じ決断し、新生した人生を生きることまでを含むことなのです。この悔い改めを公に現す信仰行為こそが「バプテスマ」なのです。
 イエス様の言われる「悔い改め」とは、自分から神へと立ち返ることです。これまでの価値観を破棄し、神が示してくださる新たな神の国の民に求められる価値観を身に着けて生きることです。すべての始まりがここからなのです。私たちの信仰生活も、家庭生活も、仕事先に置いても、また、この国の一員、世界の一員として、まず、悔い改めから始めるべきです。