『力を捨てよ、知れ』(詩編46:1〜12)  2011.3.6

マルティンルターが詩編46編から「神はわがやぐら」という讃美を歌いながら、カトリックの伝統と戦いました。この詩編は人生の大きな災難に遭われた人々において避けどころとなり、砦、助けとなってくださる神の愛に立つ信仰者の信仰告白です。
先日ニュージーランドで起きた大地震で、多くの方々が被災されました。とりわけいつも地震や火山活動による身の危険を目の当たりにしている日本のキリスト者にとって、今日の聖書の言葉の約束はどれほど大きな励ましと慰めとなるでしょうか。
詩46篇には神の子どもたちへの二つの招きが記されています。一つは9節の「仰ぎ見よう。」、もう一つは11節の「力を捨てよ、知れ」です。この二つは密接なつながりを持っています。まず、「仰ぎ見る」。ここで「見る」という意味は、多くの人々には隠されていることを神の子どもたちは霊の目で見ることを意味します。つまり、この地を圧倒される神の隠れている働きを見ること!です。次に11節の「力を捨てよ」。これは「静まる、捨てる、降伏する、やめる」といった意味をもっています。いつも忙しく、落ち着きがなく、止まることを知らない現代日本社会においては、「静まり、捨て、降伏する、やめる」ことはなかなか難しい選択です。ですから、これらは決して消極的なことではなく、むしろ神との親密な関係にある信仰者のより積極的な信仰的姿勢である信頼を意味する言葉として使われているのです。
私たちの生活の中にも、様々な苦難が襲ってきます。それらの苦難に対して、自分のちっぽけな力で立ち向かうなら、私たちはやがて疲れ果て倒れてしまいます。しかし、今日の詩人のように、自分の力に頼るのではなく、圧倒的な神の力に依り頼むならば、神は「必ず、そこにいまして助けてくださる。」のです。“万軍の主はわたしたちと共にいます。”(12)揺るぎのない神の約束です。ハレルヤ!