『 弱さは強さに変えられる 』(イザヤ 41:8〜16) 2011.5.15

 人の感じる弱さは神の強さを体験できる通路となります。
今日のイスラエルは「虫けら」と例えられています。国が滅ぼされ、周りの国々に嘲笑われるような状況に置かれている。過去の栄華は過ぎ去り、今彼らに残っているのは、自己憐憫の涙と目に見える現実的絶望です。何よりも、今まで神の選ばれた民としての誇りは、神からも見捨てられてしまったという嘆きと悲しみに変わりました。“わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。”(詩編22:7) あなたも、自分のことを「虫けら」だと思ったことはありませんか。何をしても失敗ばかり、周りの人々からも無視され、踏みにじられ傷ついてしまう日々。生きているのがやっとで、心のうちは敗北感と自暴自棄・・・。
 しかし、弱さの中に聞こえてくる神の声があります。“そうだ。あなたは確かに虫けらなのだ。あなたは何もできないし、傷つきやすいし、踏みにじられてしまう存在にすぎない。しかし、全能の神であるわたしが、あなたを変えようとしている。わたしはあなたの弱さを強さに変える。わたしは新しいことをあなたの上に起こそう!”と。この神の強さを象徴するのが“山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする「打穀機」”でした。
 虫けらが、どうやって打穀機に変えられるでしょうか。あり得ません。しかし、神が助けてくだされば、できないものはないのです。(フィリピ4:13)むしろ、弱さの中で強さを現すことこそ神の方法なのです。ですから、神の前での弱さは恥ずかしいことでも、絶望することでもありません。弱さは神の強さを体験できる通路であり、神の栄光を現すしるしなのです。主はあなたの弱さを誇りに変えてくださいます。その約束のしるしとして、イエス・キリストの十字架が立てられていますし、先日召されたわが群れの愛する大和秀雄兄が生涯を通して証ししてくれたのです。ハレルヤ!
“わたしは弱いときにこそ強いからです。”(二コリント12:10)