2011.6.12『ペンテコステ礼拝』

『 夢見る教会 』使徒言行録2:42〜47)
 ペンテコステおめでとうございます!!!
 聖書が教えてくれる聖霊による教会の姿、また、わたしたちが夢見るべき教会の姿
がここにあります。本日の聖書の本文にはその姿をいくつか挙げられています。
まず、その教会は、“使徒たちによる聖書の学び”に満ちていました。次に、その教会には“愛の交わり”が溢れていました。それから、彼らはいつも“共に食事をし、主の臨在”を味わっていました。そして、彼らは、“熱心な祈り”に燃えていました。
 おそらく人々は、上に挙げられた事柄について“当たり前のことじゃないか”と言われることでしょう。・・・そうです。当たり前のことです。今のわたしたちの教会においても同じくなされていることですから。・・・しかし、その当たり前の中に、“聖霊による当たり前のことなのか、聖霊を意識しない人たちの行為による当たり前なのか”の違いがあるのです。教会の見える形だけの活動が浮き彫りになって、見えない聖霊の働きを見失ってしまうとわたしたちの教会は命を失うことになり、地域社会に何の影響力も現すことのできない形だけの教会にしかならないことでしょう。
 最初の教会の信徒たちは、毎日神殿で祈り、家庭ごとに集い食事をし、主の晩餐の恵みに与りました。そして、互いの必要に応じて喜んで自分のものを分け合うことを実践しました。彼らの集いには、常に喜びがあり、感謝で溢れていました。そこには、偉い人も、みすぼらしい人も、強い人も、小さい人もいませんでした。ただ、聖霊に満たされた神の家族がいるだけでした。そのことを最もよく表現している言葉が、“一つになって、一つにして”という表現でしょう。(44、46、47節)その結果、“民衆全体から好意を寄せられ、主は救われる人々を日々仲間に加えられた”(47節)のです。
 わたしは夢見る教会があります。それを、ぜひ神の家族と共に見、一緒に作り上げたいのです。聖霊の助けをいただき、聖霊の命と救いで溢れる教会を・・・。ハレルヤ!