2011.8.21

キリスト者の平和作り』(イザヤ11:6〜9、エフェソの信徒への手紙2:14〜18)
イザヤは神の国の光景をこのように説明します。
“狼が小羊と共に宿り/豹が子山羊と共に伏す世界。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く世界。牛も熊も獅子もひとしく草を食らう世界。また、乳飲み子や幼子が毒蛇の穴に手を入れて遊ぶ世界。”・・・イザヤはこの世界を“何ものも害を加えず、滅ぼすこともない世界”、すなわち、神の国であると紹介しているのです。これこそ、最初の人であったアダムとエバに与えられた平和、そのものでした。しかし、人は罪と欲望によってこの平和な世界を失ってしまったのです。
皆さん、イザヤが夢見ている世界は本当に可能でしょうか。・・・この問いに、殆どのキリスト者が心の中で首をかしげるでしょう。しかし、このような世界が不可能だというわたしたちの判断のゆえに、だんだん欲望と戦いが支配する世界にしてしまったのかもしれません。
 聖書はわたしたちに、神の国は実現するものであると教えます。イザヤはそのような世界を、“水が海を覆っているように大地は主を知る知識で満たされる世界”だと語っているのです。皆さんは、主を知る知識の中で生きているでしょうか。確かなことは、神を知るというのは、頭の知識の問題ではないということです。それは、神の御心に触れることであって、神の御心を抱くということです。そして、御心を生活の中に生きることです。神様の御心を悟ることができない人が神様を知っているということはできません。
神の御心はイエス・キリストの十字架によって示されました。それは命をかけて示そうとした愛と平和への約束の実現であったのです。ですから、キリスト者の平和作りはイエス・キリストの十字架を見上げることから始まるのです。神は、十字架の証人を集めておられます。