2011.8.28

『御言葉の味は?』(ヨハネの黙示録10:8〜11)
 生涯、教会に出入りしながらも、聖書がわたしたちに開いて見せる、その広大な世界の入口にも踏んだことのない人が多いです。一日三食、ご飯は忘れずにきちんと食べながらも、魂の食事である御言葉を読む時間は、日々の忙しさのゆえになかなかもてないとつぶやきます。
 今日の聖書本文は、わたしたちが御言葉とどのように接していかなければならないのかをよく教えています。まず、神様の御言葉は、自然に私たちのうちに入って来ることはありません。御言葉をいただくためには、御言葉をもっておられる方の前に行く必要があります。御言葉は耳でだけ聞くものではありません。足で聞いて心で聞くものです。
 すると、天使はわたしに言った。「受け取って、食べてしまえ。それは、あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い。」 (9)次に、御言葉は耳で聞くのではなく、食べるものです。御言葉を味わい、香りを吟味して、よく消化させる時、神の言葉は、私たちの肉となり血となっていくのです。
 それでは、御言葉の味はどうだったでしょうか?“口には蜜のように甘いが、腹には苦い”と言います。口に甘いという言葉は、神の言葉によっていただく感動、希望、力と勇気などなど、その恵みは数えられないほどです。御言葉により、時には励まされ、慰められ、生きるべき道が示されるのです。これらが聖書の教えている御言葉の甘さというものでしょう。
 しかし問題は、その言葉を消化させることがなかなか容易ではないということにあります。わたしたちがその言葉の甘さだけにとどまって、御言葉を消化しようとしないことにあります。御言葉から甘さだけを求めると、わたしたちの魂の栄養のバランスは崩れてしまいます。
 御言葉を食べるということは、わたしたちの生活の中で翻訳していくことを意味します。そのためには、多くのものを犠牲にしなければなりません。何よりもまず、“神の国のために、自分自身を世界の中心において生きてきた過去の生活と別れを告げなければなりません。”食べた御言葉により、これ以上“自己中心の好き勝手な”生活はできなくなるのです。 “神様”を喜ばせるために、また“隣人”を生かすために多くのことを放棄しなければなりません。しかし、聖書のこの苦い味こそが、実はわたしたちを生かす最も良い薬となることをわたしたちは知るべきです。あなたが日々いただく御言葉の味はいかがですか。