2011.9.25

『 主を知ろう、主を知ろう 』(ホセア6:1〜6)
 わたしたちクリスチャンが最も好きな聖書の箇所の一つが詩編23編ではないかと思います。そこで詩人は、主は羊飼いとしてわたしたちを青草の原に休ませ、憩いの水の辺に伴われる方だと告白します。わたしたちはこの詩を思うだけで、静かで平和な風景を思い起こします。ところが、この詩は決してローマンチックで、美しい風景だけを歌ってはいないことを覚えましょう。詩人は歌います。“死の陰の谷を行く時も”と、死の危険にさらされる厳しい人生をも描いているのです。死の陰の谷を通らなければならないのがわたしたちの人生なのです。これがわたしたちの現実です。失敗と試練、病、事件事故、災害からまったく関係のない人はこの世に誰一人いません。これらの試練を避けて生ける人って一人もいないのが人生なのです。
 預言者ホセアが活動していた当時はまさに“死の陰の谷”から逃れられないような時代でした。神の御手に引き裂かれ、鞭打たられている状況が続いていたのです。そんな中、ホセアを通して聞こえてくる神の声、“主を知れ”という声でした。
 聖書の最も大切な主題のひとつが“神を知れ!”ということです。神に選ばれた民として、自分たちほど神をよく知っている民族はないと自負していたイスラエルでした。しかし、彼らは知識や形としては神を知っていると言えたかもしれませんが、神の本当の姿も、神の望まれる真心も知らなかったのです。そこでホセアを通して神は“あなたの主を知れ”と求めておられるのです。まず、神の鞭と裁きの意味を、そして、神が最も嫌われることを、最後に、神の求められる御心を“知れ!”という命令でした。・・・ホセアを通して叫ばれた声は今のわたしたちにも同じく語られています。特に、様々な災害と苦しみの中にあるわたしたちだからこそ、神の声を聞く時なのです。神からわたしたちの
歩むべき道を学ぶ時なのです。ここに救いがあるのです。ハレルヤ!
“我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように、我々を訪れてくださる。”(ホセア6:3)