2011.12.25クリスマス

  『 クリスマスの祝福 』(ヨハネによる福音書1:1〜5、9〜12)
 メリークリスマス!!!
 全宇宙、全世界、そしてわたしとあなたを造られた神がわたしたちを救うためにこの世に来られた!というのが今日の御言葉であり、クリスマスのメッセージです。神が人となってこの世界に来られたことより、人類の歴史上、衝撃的な出来事はありません。ですから、イエス・キリストがこの世界の真ん中に来られた日を中心として、イエス・キリスト以前の歴史をB.Cと、イエス様が誕生してからの歴史をA.Dと分けているのです。しかし、このような分け方は世界歴史にだけ限ることではありません。イエス・キリストがわたしたち一人一人の人生の中に来られたことにおいても、その人の人生におけるB.CとA.Dとなるのです。キリストに出会う前の自分と、キリストに出会った後の自分の人生は全く違うものであるからです。“だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。”(Ⅱコリント5:17)
 しかし、イエス・キリストが歴史の真ん中に来られた時、人々がみんなイエス・キリストを喜んで受け入れたわけではありませんでした。人たちは二つの反応を見せました。その一つが、拒絶という反応でした。
“言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。”(11節)
 拒絶の理由を聖書は、「知らなかった」ことと、「自分たちが暗闇であったから」だと教えています。光なるイエス様を受け入れることで、わたしたちの人生の暗闇が、様々な暗い問題が、わたしの罪の問題が、この世界の不条理の問題が、この光によって解決されるということを知らなかったし、理解できなかったのです。むしろ、そこから逃げようとしていたのが罪人であるわたしたちでした。
 しかし、もう一つの反応として、「言」であり、「光」である方を人生の内に受け入れる人たちがいました。その光から自分の存在を見つけ出した人、光に照らされ、自分の暗い部分に気づいた人は、自分の内にある暗闇を無くそうとし、片づけようとします。そこに光が照らされることで、新しい存在が生まれ、新しい生活が始まるようになるのです。“しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。”(12節)
 クリスマスは、わたしたちの光となるため、神の子どもとなる特権を与えてくれるためにわたしたちの人生の中に神の独り子イエス・キリストが来られた日です。その方を心の中にお迎えする日、その方と共に歩み出す日こそクリスマスなのです。
 今日はK兄のバプテスマ式が執り行われます。主イエスを受け入れたK兄に与えられる神の子となる特権と恵みを通して、共に独り子を与えられた神の愛と救いのご計画に与る祝福のひと時を過ごしたいと願います。ハレルヤ!