2012.1.8

  『 十字架、わたしの誇り 』(ガラテヤの信徒への手紙6:11〜18)
 使徒パウロの人生を通して、常に語り続け、掲げ続けていた主題がありました。それが「イエス・キリストの十字架」を誇る!ということです。使徒パウロからイエス・キリストの十字架を無くしてしまえば、彼の人生は何も残らなくなってしまいます。“しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。”(14節) ご存知のように、十字架は人を殺すための道具として最も惨めな象徴でしたその十字架には人の欲望と罪が赤裸々に現わされています。しかし、イエス・キリストが十字架にかけられたことで、呪いと罪、裁き、恥ずかしさ、惨めの象徴であった十字架が、愛と赦し、恵みと祝福の象徴に変えられたのです。その十字架を通してどんな罪を犯した人も、どれほど汚れている人であっても、赦されることが示されたのです。その十字架に出会ったパウロは、十字架を愛し、十字架だけを誇る人へと変えられたのです。
 しかし、当時のガラテヤ教会には十字架の恵み以上に、割礼などの律法を守ることを重んじる間違った教えを広めるグループがいました。キリストの教会が恵みでなく、律法と行ないが優先される状況に変わってしまうことを前にして、「キリストの十字架の恵みのみ」を訴えているパウロの姿があります。
 一年を始めようとする時、あなたの心の誇り、あなたの夢はどこに土台を置こうとしていますか。わたしとあなたのために十字架の傷を負い、罪の赦しと永遠の命を勝ち取り、神の子としての自由と特権を与えてくださったイエス・キリスト。その方の「焼き印」を身に受けている者として、イエス様の十字架を愛し、十字架を誇りとし、各自に与えられている十字架を背負いながら、神の愛を知らない人々に十字架の恵みを宣べ伝えるこの一年としたいものです。十字架、わが誇りなり!