2012.4.1

『 世の罪を取り除く小羊 』(ヨハネによる福音書1:29、イザヤ53:4〜8)
 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。これは、バプテスマのヨハネが、イエス様を紹介したときの最初の言葉です。ヨハネは何でイエス様を小羊と表現したでしょうか。偶然、頭に浮かんできた動物を表しただけでしょうか。それでは、「小羊」には何の意味があって、その小羊とわたしたちとどんな関係があるでしょうか。
 イエス様の生涯における最も大切なイメージとすれば、「十字架」を思い浮かべることでしょう。十字架を考えながら、同時にイエス様を思い浮かべない人はいないと思います。実は、このイエス様の十字架こそが、旧約時代から言われてきて、預言されてきた「小羊」としてのメシアを説明するしるしでありました。
  旧約聖書において「小羊」が用いられた歴史的出来事とすれば「出エジプトの過ぎ越し」の際に、イスラエルの初子の身代わりとして屠られ動物が小羊でした。その小羊の血を各家庭の鴨居や柱に塗ることで神の裁きから過ぎこされたのです。即ち「過ぎ越しの小羊」には、小羊が身代わりとなって神様の裁きが過ぎ越した、罪を赦されたという意味があるのです。
 また、苦難の僕の預言として有名なイザヤ53章には、「苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように」(7節)と紹介されています。イザヤはわたしたちを罪の束縛から解放するために屠られる小羊、ただ受身的でなく、ある目的を持って黙々と、しかも自発的な意思を持って命さえも惜しまず与えようとする贖い主のイメージとしての小羊が描かれているのです。恐らく、ヨハネイエス・キリストをこれらの旧約聖書の紹介している「小羊」、神様の赦しをもたらすために犠牲となられ、十字架にかかり「世の罪を取り除く神の小羊」を見ていたに違いありません。この「世」の中には、あなたも、わたしも含まれます。即ち、小羊なるイエス・キリストの十字架の上にわたしたちの罪がかけられ、小羊イエス・キリストの死によってわたしたちは生きるようになったのです。ハレルヤ!