2012.5.6

『 創造の信仰に立つ 』(創世記1:25〜31)      
 人は人生の中で、自分自身のアイデンティティについて問われる時があります。“わたしは誰なのか、わたしは何のために生きているのか、わたしの人生はどこに向かっているのか”など。人生の中でこれらの質問に立たされない人は恐らく一人もいないでしょう。結局、わたしたちはこれらの世界観、人生観への答えを探すために根源的選択に立たされることになります。そしてその最初の選択とされるべきことが「偶然」か「創造」か、という問いなのです。
 わたしたちが生きているこの世界の哲学や科学は、この世の被造物が「偶然」の中で出来上がったものだと解釈しています。この立場に立って物事を解釈するようになると、わたしたちは「創造」という立場を否定するしかありません。わたしたちの人生における誕生も、出会いも、仕事も、死も、わたしたちが生きる社会も、世界、歴史もすべてが「偶然」でしか説明することはできないのです。
 しかし、聖書はこれとはまったく違う世界観、人生観を紹介しています。それが「創造」なのです。今日の創世記1:1「初めに、神は天地を創造された。」神が光あれ!と命じると光が現れ、昼と夜を分けられ、空と地を造られた、また、海と陸地を造られ、その陸地の上には草と木々を、また、様々な動物を造られ、海の中には魚たちを、…これらをお造りになられてから「良かった!」と語られました。そして、創造の最後に、いよいよ創造のクライマックスと言える人を造られました。27節「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。」…神にかたどって造られた傑作の中の傑作、それがわたしたち、人だったのです。創造の業を終えられた時の神の感動の言葉に耳を傾けましょう。31節「見よ、それは極めて良かった!」この一言に創造者なる神の御心がすべて込められているのです。あなたは神の創造の傑作です。創造された者として、日々創造者である神の愛を感じて生きることこそ、キリスト者の信仰の原点であり、出発点なのです。命の季節、創造者を声高らかにほめたたえましょう。ハレルヤ!