2012.6.10

 『 再び〜あきらめない神 』(ヨナ書3:1〜10)
 今日の聖書本文には、人生を2度生きた人の物語が紹介されています。預言者ヨナの物語がそうです。ヨナはある日、神からイスラエルの敵国であったアッシリアの首都ニネベに行って神の言葉を告げることを命じられますが、神に背いてニネベとは正反対のタルシシュの方向へと逃げてしまいます。…この後の話は、知っての通り、巨大な魚に呑み込まれ、三日三晩魚の腹の中で悔い改めの時を過ごし、神によって劇的に救われることになります。“主の言葉が再びヨナに臨んだ。「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」(3:1,2) 
 ここで強調される言葉が「再び」です。この「再び」は、神の恵みの表れです。神は「再び」ヨナに神の為に生きるチャンスを与えてくださいます。神は一度限りであきらめる方ではありません。特に人との関係においてそうです。神はわたしたちの人生の中で、どれほど多くの恵みのチャンスをくださったでしょうか。「再び与えられる恵み」のゆえに、わたしたちは神の前に立つことができ、神の恵みに応えることができたはずです。
 それから、わたしたちは「再び語られる神の姿」から、「決してあきらめない神」に出会います。これをわたしたちは「愛の執念」とも言えるかもしれません。なぜならば、神にとって、ヨナという一人の働き人をあきらめることはできませんでしたし、また、ニネベという町の人々をあきらめることもできなかったからです。神の一人一人を救おうとされる「愛の執念」は決して終わりません。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)という神の言葉は真実です。
 この神の愛の執着、その執念こそがわたしたちの希望なのです。愛なる神はあなたを再び立ち上がらせるお方、再びあなたを用いて救いを告げ知らせようとされるお方です。ハレルヤ!