2012.6.24

『 常に、息をするように 』(ローマの信徒への手紙12:12)
 祈りはキリスト者の息吹であると言われます。人が息をしなければ死んでしまうように、キリスト者が祈らなければその人の信仰は死んでしまうからでしょう。命を失っている人は、形は生きているように見えてもその人の内には命が流れていないのと同じように祈らないクリスチャンには霊的な命が流れていません。
 「常に祈る」。この主題は、使徒パウロの祈りの勧めにおいてとても大切にされている祈りのもつ特徴であります。「常に、絶えず、休まず祈りなさい」。これは祈りの形式や方法論では決してまねできない、「生活そのものを表す祈り」であることが分かります。すなわち、祈りとはキリスト者の息をするような、呼吸をするようなものであるというイメージに最も近いのではないかと思います。
 息をするということは、私たち人が生きている証しであり、自分も意識しないうちに与えられている恵みです。そして、聖書において「息、息吹、風、霊」とも訳されているのが「聖霊」です。即ち、「常に祈る」とは、聖霊を感じ、聖霊を意識して生きることであり、その人が祈りの人であり、神の喜ばれる人となるのです。
また、「常に祈る」ということには、私たちを取り囲むどのような状況をも超えてささげるべきことが祈りであることを教えています。今日の御言葉「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(ローマ12:12)これは、クリスチャンが味わうべき様々な苦難や迫害、失望と言った状況に置かれることがあっても祈ることをやめてはならない、絶望の底まで陥れられても祈りを中断してはならない!という意味を含んでいる言葉です。
 私たちの周りに訪れてきた様々な出来事のゆえに祈れなくなり、力を失ってしまった方がいるのであれば、その時こそ、気を落とさずに祈るべき時であって、神の恵みをいただけるチャンスであることを、ぜひ覚えてください。今は祈る時、息をするように。ハレルヤ!