2013.2.3

 『 神の幻を見る人 』(使徒言行録10:1〜16)
 今から十数年前にイスラエルに行った時、ユダヤ人の食堂に行きました。やっぱり異邦人ということで、店の中に入ることが許されないまま、外で食べていた記憶があります。それほど、イスラエルにおいてユダヤ人と異邦人の隔ての壁は依然として根強く残っているのであります。今がそうであるならば、2000年前としたらなおさらのことではないでしょうか。
 今日の聖書には神の幻が紹介されています。ユダヤ人だけでなく異邦人をも等しく愛しておられる神の御心が二人の幻を通してはっきりと示されているのです。「コルネリウスとペトロ」、二人を結んだのは「神の幻」によるものでした。
 ペトロをはじめとする初代教会のユダヤキリスト者たちは長い歴史を通して守ってきた律法という尊い価値をあきらめることは出来ませんでした。彼らの中には、選ばれた民という特権意識、異邦人への軽蔑というどうしても破ることのできない壁が立ちはだかっていました。イエス・キリストを救い主と信じてキリスト者となった後もその思いはなかなか破れることはなかったのです。しかし、イエス様は全世界の地の果てにいる民(異邦人)をあきらめることはできませんでした。そのため、イエス様は二人の神の人に幻を与え、御心を示してくださいます。“神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。”(15節)
 私たちは、今日のペトロが見ていた獣や不正のいきものよりももっと汚かった存在でありました。しかし、神が聖く見てくださったのです。イエス様がわたしたちのために十字架の上で血潮を流され、その十字架の贖いの血潮のゆえに神の子とされ、恵みの場所に来ることができたのです。その十字架の力で私たちは何の値打ちもなかった罪人の身分から、イエス・キリストの命という尊い値札が付く存在に変わったのです。これこそ、恵み、これこそ、神の愛の情熱なのです。
 今日は主の晩餐式が執り行われます。十字架の上で体を裂かれ、血潮を流してくださり、命を与えてくださるほど、あなたと私を尊く愛してくださる恵みに感謝をもって応答いたしましょう。ハレルヤ!