2013.3.31

『イエスの復活と希望』ヨハネによる福音書20:19〜29
イースター、おめでとうございます!!!
エス様の復活を心から感謝しお祝いいたしましょう!
 さて今日の聖書の箇所は復活したイエス様が弟子たちの前に初めて現れる場面であります。イエス様は十字架に架けられ三日後に蘇ったというのは、クリスチャンである私たちはもちろんのこと世間一般にもその話は大いに知られていることと思います。しかしそこでこの事実を受け入れ信じるか、信じないか。そこが私たちとの決定的な大きな違いだと言えます。この箇所には疑り深い弟子トマスの言葉がありますが、現代に生ける私たち特に日本人には共感できる方も多いかも知れません。よく「神を見せてくれたら信じよう。」とか、「では復活が科学的に証明されたら信じよう。」と言う人の話を聞いたことがありますが、そんな私たちにもイエス様はきっとトマスへの言葉と同じことをおっしゃるでしょう。「見ないで信じる者は幸いである。」と。
 二千年前の日曜日の夕方のことです。(まさしく今日!)弟子たちはユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をしっかりとかけ閉じこもっていました。自分たちの尊敬し愛するイエス様の十字架の死を後にして、きっと自分達も逮捕され殺されるかもしれないと不安と恐れでいっぱいだったのでしょう。この前の箇所によると、その日の朝にペトロとヨハネは空っぽになったイエス様の墓をしっかりと見ていますし、復活したイエス様と対面したマグダラのマリアの話も聞いていたにも関わらず、その事が理解できなかったのでしょう。その弟子たちの輪の真ん中に突然復活したイエス様が現れます。そしてわざわざ自らが手と脇腹の傷をお見せになるのです。まさしく本当にあの十字架に架かって死んだことを証明するかのように、弟子たちの思いを見透かすようにそうされました。弟子たちはさぞ驚いたことでしょう、聖書にはたった一言弟子たちは「主を見て喜んだ」としかありませんけれども、その感動、驚きと、喜びはどれほど深いものだったでしょうか。
 八日後、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と、言ったトマスの前にもイエス様は現れます。トマスはその復活されたイエス様を見てから信じました。現代に生きる私たちはどうでしょうか。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」イエス様は私たちにこう語りかけておられます。私は断言します。間違いなくイエス様は確かに十字架で死にそして三日目に蘇られたのです!この事実は2千年前から今日に至るまで一切変わることはありませんでした。イエス・キリストは今日復活されました!そして私たちも復活します!死から復活されたイエス様と共にまた今日から新たな旅に出かけましょう!ハレルヤ!