2013.4月7日

『 命の水の流れ 』    エゼキエル47:1〜12
 今日の聖書の本文の主題は「水」です。ただの水ではなく、「命の水、命の川」です。人類が創造された時から変わらない真理の一つ、「命=水」ということです。水がなければ人間も動物も、植物も生きることはできないからです。
 ある日、エゼキエルは幻を見ました。天使に導かれて神殿に入ったエゼキエルは、水が神殿の敷居の下から湧き上がって、大量の水が流れてくることを見ることになります。そこで、エゼキエルは神殿を歩きながら、その水の水位を測ることになりますが、最初は、水がくるぶしまで達しました。その後、水はどんどん増えてきます。再び歩いて見ると今度は膝に達し、次は腰まで達してきます。そしてやがては、もはや渡ることのできない川となり、その後は泳がなければ渡ることのできないほどの深い川に変わっていったのです。しかし、ここで大切なことはただ水が神殿を覆い、流れていたことではなく、その神殿から湧き出て、流れている水が「命をもたらす水」であったということです。その水は神殿から流れ出て、至る所を覆いました。その川の水が通ると、死んでいた土地に木々が生え、汚れていた水は綺麗な水に変えられていきました。 
この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。”(9節)
それでは、聖書が教える本当の「命の水の流れ」とは何でしょうか。まず、イエス•キリストこそ「命をもたらす水であり、命の川」です。私たちの主イエス・キリストの十字架の上で流された血潮の恵み、血潮の力、それだけが人類を癒し、聖め、生かす生ける水の川となったのです。また、この「水」こそ聖霊様であることを主は教えて下さいます。神のもとから流れる聖霊によって、私たちの沈んだ心も息を吹き返し、聖霊の流れによって私とあなたの心は潤されるのです。
 エゼキエルが見た「命の水は川」となりました。川とは流れるものです。命の川が流れなければ腐ってしまい、命をもたらすことはできません。まず、あなたが日々命の川に満たされ、流すことです。そうすれば、命の川は増え続け、すべてのものが生き返るのを見るでしょう。