2013年6月30日

「影の立役者」     列王記下5:1〜14  北芳正牧師

はじめに この聖書の物語には、主役と脇役の両立場が、教えられている。
① 主役 ナアマン・エリシヤ・イスラエル王(ヨラム)アラムの王(ベネハダテ)
② 脇役 ナアマン夫人の召使い少女、 ナアマン将軍の家来…両者とも無名人
③ 見えない立役者 癒しの主=在りて在る者=I am who(that)I am.
(1)ナアマンの態度 
イ.準備万端 → 家来多数、贈り物、紹介状、等を携えた。
 ロ.一度は激昂したが、家来の言葉に従った。(ダマスコの川 → アバル.パルパル)
   罪からの救いを神に求めながら、条件の単純さに躓く。反対に修養・鍛錬でも不得。
   ただイエスを信じること = マルコ1:15.使徒16:33.
 ハ.七度の意味 = ム−デ:怒りが除かれ、高慢が取去られ、不信仰、自負心、虚栄、
尊大さが洗い除かれ、最後に潔めの目的に導かれる。(ガラテヤ5:18〜)p350
 ニ.謝礼の贈り物を申し出る。 驢馬2頭分の土 → 主礼拝の場所にする。
   私たちは、多忙な時間帯の中で、礼拝の時間を確保する。→ もぎ取る、剥ぎ取る。
 ホ.今後の信仰姿勢 = 主以外の神に犠牲を捧げない(証しの生活)
  但し、彼等の文化としての宗教、を尊敬する事の赦免…常識の世界。 
(2)エリシヤの態度 
イ.王ヨラムに言う → 衣裂きの愚かさ、「彼への予言は我が嗣業也(私の為すべき仕事)。
   ロ.使いの者を遣わして…自分で接遇しない、しかも予言の伝達のみ、
   ハ.自分で癒しの業を施す事をしない。自分の目で神の業を見なさい。
   ニ.謝礼の贈り物を受領拒否…主は生きておられる = 栄光を主に帰す。
(3)召使少女の態度 
イ.逆境に身を置きつつも、イスラエルである事を守った。
   ロ.女主人は、召使少女の日頃の忠実さを知っていた。だから彼女に嘘がないと信じた。
(4)家来の態度 
イ.勇気在る助言 … 困難な修行でも実行するのに、こんな易しい事ぐらい。
   ロ.ナアマンの性格を良く知っていた。「わが父よ … 先生よ … 理解できる知恵が在る」
おわりに 
ドラマが成果を得るには、主役である立役者も立派でなければならないが、むしろ二枚目・三枚目など陰の役者の働きが大切である。ナアマンの奇跡は、実にこの無名の二人の働きに帰依することが大きい。イエス様もいつも、世間からは見放されたような人に目を掛けられる。
無名でも良いじゃないですか。小さなことに日頃の忠実さが、突然表面に出てくる。そんな機会を見逃さないように、祈りつつ聖霊の導きにゆだねよう。