2013年11月3日

 『 重荷か、恵みか 』   閔 丙俊牧師   列王記上17:8〜16

 聖書の中には神様の大いなる祝福と偉大なる奇跡物語が次々と紹介されています。それらの物語を通して私たちは神様への信仰を強められ、現実の厳しさを乗り越える勇気と力をいただくことになります。
 しかし、これらとは反対に、聖書の中には私たちをつまずかせ、悩ませる物語も多く登場することも事実です。特に本日与えられた物語は私たちの躓きとなるような物語の一つであると思います。本日の「サレプタのやもめ」に残されているのは「ただ壺の中にある一握りの小麦粉と、瓶の中にわずかに残っている油」が全部でした。なのに神は無理な要求をされる。神は、私たちに残されている最後のものさえも求められる厳しい方のように思われます。神の家族はいかがでしょうか。
 神の家族の皆さん、聖書に紹介されている私たちの神は、ただ重荷を課せようとされる神ではないのです。むしろ、厳しい神の要求は私たちの信仰へのチャレンジであり、私たちが神をもっと深く知るために、また、神の生きて働かれる恵みを豊かに味わわせるために与えられる神からのメッセージであるのです。
 ある方が言われたように「苦難は隠れた神からの祝福の贈り物」です。アブラハムは100歳の時に得たイサクを求められる神に、信仰をもって応えました。五つのパンと二匹の魚というわずかなものを献げたことによって偉大な祝福の奇跡を味わった少年と弟子たちの物語もそうです。
 愛する神の家族の皆さん、イエス様は「あなたの手に残されている小さなものを用いよう!」と声をかけておられます。私たちに求められるのは、まず、神にすべてのことをゆだねること、それから私たちのできる最善を主におささげすることです。
 それから、忘れないでください。神のご計画は災いでなく幸いであり、祝福のために立てられているということを!ハレルヤ!