2013年12月15日

『 インマヌエルの神 』     北 芳正牧師 
                  マタイ1:18〜25 イザヤ7:14〜15、9:6〜7
 目的 人類の救済の手段として人生の真只中に降誕された神を信じる。
 導入 一昨年の今頃NHKラジオ深夜「明日の朝神様がいらっしゃるよ」
悪を審く為。確かに今は裁かれても仕方のない様相が終わりの時
ヨハネ3:17では、裁くのではなく救うため。終わりに相応しい新世
界神が我らと一緒に住まわれる世界の創造(ヘブライ1:1〜2 p401)
 本題 
⑴予言されていた (イザヤ7:14、申命記7:21)
  インマ=一緒、ヌウ=われら、エル=神 god with us
 ⑵予言の成就(ピリピ2:6〜7、ヨハネ3:16)
 愚かさの実態を「罪」と言い、罪の結果である「死・消滅」からの脱出
「救いの」=「償い」が必要、償いきれない時には=「代償」を求める。
⑶死の代償は「愛」を前提とする。・・・私の母の愛に関する証し・・・
母親なら(父を含めて親なら)子のために命を懸けることもあるが、そ
 の愛は本能的なもの、少し人間的に高めても「友愛、博愛」程度で己を
犠牲にしてはいけない。
⑷「キリストの愛」=「アガペー」、敵をも赦す=自分を償いの供え物己
を犠牲とする=(ローマ書5:7〜9)罪には罰、最高刑は死刑である 神
ご自身が私の罪の罰に代わって=償いとなって下さった。また、自らの
復活を通し、信じ従う者に「復活による新しい命」を約束
   ヨハネ3:16=永遠に生きる者として下さったのである。
結び 神自身が私たちの真ん中に来られる、共に住んで下さるとの約束