2014年1月12日

「絵馬と聖書」 北 芳正牧師 ロ−マの信徒への手紙12章1節

 初詣や人生の転機に絵馬を奉納する人がある。元来馬は神の乗りものとして神聖視された。神の降臨を求め、生き馬を献げたのです。それが土造、木馬、絵馬に変化しました。絵馬は願望祈念・成就感謝の表意ですが、願望時だけ奉納し以後放置する人が多く、絵馬板=領収書=板となっている。絵馬だのに「馬」が描かれぬ。昔の馬は、人間との生活共同体で、馬が死ぬと家族を失ったと悲しみました。馬は自分の犠牲で、それに値する恩寵への感謝が先行した。

教会での神礼拝の要素は
①神を崇敬賛美②自分の罪を認めて告白③神の聖旨を求めて聴く④聖旨に反せば悔い改める。⑤神に赦され、無罪となった感謝⑥感謝の奉献⑦喜びの分かち合いに派遣される。
「道理に叶う礼拝」は、12:2「心を新たにする」「自分を変える」です。
次に「祈りの要素」として、マタイ6:9〜、ヨハネ16:23〜を見る。
イ.成就の確信ロ.イエスの名で ハ.執り成しを ニ.栄光は主に。一般的には一時的な願いで、成就の確信は無い。苦しい時の神頼み。宗教的習慣だから。当るも八卦・当らなくて元々。他人の執り成し無し。祈願成就を喜ぶが、栄光を自分のもの、恵みや導きの源への感謝は無い。「エマイタ」は放置されたまま。わたし達の「絵馬」とは何か。信仰告白、証し=ベテスダ池、スカル井戸辺。教会の交わり=使途行伝2:43〜*絵馬は常に座右に。教会の礼拝を頌栄と祝祷で終わるのでなく、この世の戦いに出立つ民への励まし=派遣誓約・宣言としたい。