2014.8.10

『 平和を作り出す人々は幸いです① 』(マタイによる福音書5:3〜10)
 人は平和を求めます。しかし、人類の歴史は平和を得るための戦争の歴史でありました。最初の人間、アダムから始まった欲望と罪、戦争の歴史でした。私たち人類において戦争がなかった日はないと言ってもおかしくありません。ところが、その戦争の目的こそ平和を得るためであったことに、人の求める平和の矛盾が明らかにされるのです。そうです。人が作り出す平和は、常に力による形、「歯には歯、目には目」という力中心の方法をもっての平和を作り上げてきたのです。これは、人類の歴史が始まって以来、世界のどこの国や地域においても同じく適用されていた基準でした。力で作り出す平和。しかし、それは本当の平和でしょうか。
そこで、イエス様はまったく新たな平和の道を示してくださいます。
 「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(9節) これは新約聖書の中でここだけに出てくる珍しい言葉です。なぜならば、これは「平和を実現する人々」という一つの単語であるからです。「平和を」の後に私たちが言葉を入れ替えることができない、平和を「願う者」とか「好む者」とか「期待する者」とできないのです。イエス様が今日私たちに明確に示されていることこそ、「平和を実現する人たち」なのです。すなわち、すべてのクリスチャンは、平和を実現するために召されているということです。
 それでは、世界の人々に示す真の平和の実現方法はあるでしょうか。それこそ、イエス・キリストの十字架です。その十字架の上に、神は本当の平和を明らかに示されたのです。人となられた神が、すべての人の罪、憎しみをご自身の身に背負い、十字架の上で死なれた。この十字架に私たちの真の平和の道が開かれるようになったのです。私たちがイエス様の十字架にすがり、イエス様と共に歩む時、平和は実現するのです。その十字架によって私たちは真の癒しと回復、罪の赦しと神の国をいただくことができるのです。イエス様の十字架によって敵意は廃棄され、真の平和が訪れる。罪人たちであった私たちは、イエス・キリストを通して真の平和を知ることはできるのです。このイエス様によって私たちは神と和解させられた者として、平和を実現する者へと変えられていくのです。ハレルヤ!