2015.1.4

 あけましておめでとうございます。
 2015年は大雪に始まり、富山っ子の私も、少々参っております。
昨年の年末には、 たくさんの“喪中”のハガキを受け取り、ふと、クリスチャンの場合の喪中はどうなのか調べてみようと思いました。『クリスチャン生活辞典』の索引欄には、“喪中”の単語はなく、インターネットで「クリスチャンの喪中について」検索しました。すると、ベストアンサーとして載せられていたのは、
 『喪に服す』行為は存在しません。死んだら『ポイっ』って感じです。親族の死を悼み、身を慎み、故人の冥福を祈る事より、キリストの生き死にを、祝うことを喜びます。『喪に服す』行為そのものが、偶像崇拝になるかもしれません。冷たいものです。キリスト教徒には、門や玄関の正月飾り、年始まわりや神社、仏閣への初詣などもしないからそもそも関係ないでしょうね(笑)
 というものでした。
 なんとも言えない悲しさと言うのか、怒りと言うのか…。
伝道に踏み出すには、こんなことくらいで凹んでいては話にならないのでしょうね…
こんな私を赦し、いつも愛してくださる神様に感謝!
                 −K・I姉−