2015.1.18

〜十字軍の道、十字架の道〜
 世界が混沌としています。世界各地で立て続けに起きているテロで、人々の心は恐怖と憤りに満ちています。考えて見ると、これらのことは歴史において長年続いてきた宗教戦争がその根底にあることに気づかされます。特にイスラム教とキリスト教の戦いがそうでしょう。イエス・キリストは十字架の赦しと命をかけて愛することを命じられたのに、人はイエス様の御心に耳を閉ざし、自分勝手な思いと判断で間違った選択をしてしまいました。人類の歴史において、キリスト教という名前で犯されてきた最も大きな罪と言えば、“十字軍戦争”ではないかと思います。エルサレム奪還という名の下で、「十字軍」を作り、「聖戦」という名をつけ、武力による戦争を選んでしまいました。そこで、多くのイスラム教徒の命を奪い、抑圧し、搾取し、踏みにじってしまいました。その結果、永遠に終わりそうにない宗教戦争へ突入し、キリスト教世界は厳しい代価を払わされる現実を迎えているのです。わたしはキリスト教と他の宗教との絶えない戦いと戦争の責任が、他の宗教よりキリスト教の方にあると思います。なぜなら、キリスト者と教会が恵みでなく律法を、十字架でなく武器を、愛でなく戦いを、仕えることでなく支配することを、赦すことでなく裁くことを選ぶ間違いを犯したからです。・・・
 今も、キリスト者と教会は「十字軍の道」を歩くか、「十字架の道」を歩くかの2つの道の選択の場に立たされていると言えましょう。多くの人が昔、「十字軍が歩んだ道」を歩もうとし、少数の人だけが「イエスの十字架の道」を選んで歩んでいます。皆さんは、どっちを選びますか。“目には目、歯には歯”を掲げる「十字軍の道」ですか、命をかけて愛されたイエス様の「十字架の道」ですか。キリスト者が十字架の道を選ばない限り、現在の悲劇は続くはずです。・・・“平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。”