2015.11.1

『 心を一つにし、思いを一つにし 』(Ⅰコリントの信徒への手紙1:10〜17)
 パウロはコリント教会からの知らせを聞き、コリント教会への愛と感謝を込めて手紙を書きはじめます。まず、パウロはコリント教会が「神の教会」(2節)であることを伝えます。「教会」とは“エクレシア=呼び集められた者の集まり”という意味を持っています。すなわち、教会は人の意志や人の努力などとは関係のない、神によって召された信徒たちの群れ、イエス・キリストを「主」とし、その御名を呼び求める聖なる者たちの共同体のことなのです。続けてパウロは、神の教会に注がれているいくつかの恵みについて確かめています。①キリストに結ばれ、あらゆる言葉とあらゆる知識が豊かにされる ②キリストについての証しが確かなものとなる ③神からの賜物に何一つ欠けるとことがなく、主イエス・キリストの現れ(再臨)を待ち望んでいること、がそれです。そのために、神は神の教会をなすキリスト者を支え、キリストの日に、「非のうちどころのない者」にしてくださるとの堅い約束を示しているのです。すなわち、神の教会をなす現代のわたしたちにおいても同じく、「キリストの来られる日を待ち望む信仰のもと、神の御言葉の約束に堅く立ち続け、神と人の前に「非のうちどころのない者になる」ように心がけながら日々を過ごしていくことが求められているのです。
そこでパウロは、早速コリント教会が抱えていた問題の中で最も深刻だった「争い」について語り始めます。当時のコリント教会の群れは「パウロ派、アポロ派、ケファ(ペトロ)派、キリスト派」の四つのグループで分かれており、それぞれが激しく争っていたのです。①パウロ派=恐らく異邦人からなる分派のことであると思われます。彼らはコリント教会の設立者であったパウロを慕い、パウロの教えを第一としていたことでしょう。②アポロ派=アポロはアレクサンドリア出身のユダヤ人で、雄弁家であり、旧約聖書にも精通でありました。このグループはまさにキリスト教を知性化した人たちであったと思われます。③ケファ(ペトロ)派=これに属する人たちは当時の初代教会のリーダーであったペトロを慕うユダヤ人グループであって、彼らはユダヤの律法を重んじていたことでしょう。④キリスト派=彼らは自分たちだけがキリストに属すると考え、他のキリスト者を認めない頑固な姿勢を持ち続けたグループであったと思われます。
 そこでパウロは「十字架につけられたのは誰かと、バプテスマ(洗礼)は誰の名によって受けたのか」と、争っていた人たちの信仰の原点を問いかけています。すなわち、人々を救いへと導いたのは人の働きや人の知恵でなく、イエス・キリストの十字架による恵みであったからです。このような争いと分裂は人類が始まって以来、どこの集団においても同じく続けられてきました。これは十字架を前にしていたイエス様の弟子たちが最後まで争っていた主題でもありました。そこでパウロは「心を一つにし、思いを一つにして、固く結び合う」ということを強く示してしているのです。そのためにイエス・キリストは十字架によって命を捨ててくださったのです。コリント教会を通して示される幸いな教会への教えに、心を一つにし、思いを一つにしてキリストの体である信仰の上に堅く結び合うことです。