2015.11.1

 〜 何を食べさせようか 〜
 先週は妻が義理の母を助けるために数日間帰国したので、その間、子どもたちの世話と家事もせざるを得ませんでした。牧師としての働きに加え、いろいろと忙しくしている中で、一番気になったのが子どもたちのための食事を作ることでしたね。もともと自己流の料理をすることが好きなわたしではありましたが、子どもたちのために「何を食べさせるべきか」ということにおいては頭を悩ませました。妻のいない数日間だけインスタント食品か簡単な弁当、外食などにしようかとも思いましたが、やっぱり子どもたちへの親として、もう少し健康に良い物を食べさせたいという思いが大きかったですね。朝早く起きて子どもたちのために料理を作り、最後までしっかり食べることを確認し、何度も小言を言う父親がそこにいました。
 牧師としていつも頭を悩ませることが「主日礼拝の宣教」です。火曜日と水曜日、金曜日などはテキストが定まっているので特別に悩むことはありませんが、主日礼拝の宣教は常に祈りつつ、神の時に適った御言葉を求めつつ備えることを心がけています。とりわけ信徒に甘い言葉だけを伝えることなく、キリストの健康な体としての教会を建て上げるために必要な霊的糧を食べさせるのが牧師の働きであることを一時も忘れてはなりません。パウロの書簡を通して各教会に必要とされる霊的食事を用意するパウロの姿を見ます。信仰の弱い人には柔らかいものを、信仰の強い人には固いものを食べさせようとする牧会者としての知恵と愛の熱意を学びつつ、小泉町教会の神の家族が御言葉における好き嫌いから脱して、旧・新約すべての御言葉を美味しく食べられるようになることを楽しみにしたいと思います。これからも「何を食べさせようか」という牧師としての毎日の嬉しい悩みは続けられることでしょう。シャローム