2016.1.17

『 虫けらから打穀機へ 』(イザヤ41:14〜16)
 アッシリア帝国が滅亡した後、中近東地域は新バビロン帝国が覇者となります。この時期イスラエルは、何度もバビロン帝国に捕虜として連れ去られ、数十年間を異国の地で苦しむことになります。当時のイスラエルの民の心を支配していたのは深い暗闇と絶望感でした。彼ら自らの力ではどうすることもできない絶望の状況、今彼らに出来ることはエルサレム神殿を思い起こして涙することしかなかったのです。絶望を「死に至る病」だと言っていた哲学者の言葉を借りなくても、当時のイスラエルの目に見えるのは絶望しかありませんでした。・・・その時でした。沈黙を貫かれていた神がイザヤを通して語り始めます。“あなたを贖う方、イスラエルの聖なる神、主は言われる。恐れるな、虫けらのようなヤコブよ、イスラエルの人々よ、わたしはあなたを助ける。見よ、わたしはあなたを打穀機とする、新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機と。あなたは山々を踏み砕き、丘をもみ殻とする。”(14〜15)
 ここで「虫けら」(ミミズ)という表現は、イスラエルの現実を表している言葉であり、彼らの内面に根づいていた「自己嫌悪、劣等感」を表している言葉です。わたしたちもそうではないでしょうか。わたしたちも人生の中で、自分の存在を“何とちっぽけなものなんだ”と自己嫌悪に陥ったりすることがありますよね。
 しかし神は、虫けらのような弱いイスラエルの民らを新しく、鋭く、多くの刃をつけた打穀機とすると言われます。 今までは虫けらのように周りの国々に踏みつけられていたイスラエルでしたが、これからは国々を裁く道具に変えられるという驚くべき約束の言葉なのです。これこそ、信仰の力です。わたしたちの信仰とは存在が変わっていく力です。虫けらが力強い打穀機に変えられるのが信仰生活なのです。以前には想像すらできなかった存在に変えられる。 罪人が義人になり、駄目だった人間が素晴らしい働き人に変えられるのが信仰生活なのです。
 そうです。わたしたちは虫けらのように弱いですが、神はすべてを打ち砕く力をもっておられます。わたしたちは無力ですが、ただ神は力強いお方。神がわたしたちと共におられれば奇跡の物語が始まるのです。しかもその奇跡の物語を「虫けら」のような私たちを通して成し遂げられると約束されるのです。
 それでは、ここでの「山々」とは何を指しているでしょうか。山々はわたしたちの前に立ちはだかっている「問題や課題」を指していると言えましょう。すなわち、わたしたちの力ではどうしても解決できない問題、わたしたちのできる能力の範囲を超えてしまう問題を指しているのです。当時のバビロン帝国やエジプトなどの強大国のことでもあるでしょう。また、彼らの肩の上に圧し掛かっていた将来への不安や恐れかもしれません。ですからここで、「山々を踏み砕き、丘をもみ殻のようにする」とは、すべての問題を解決するという意味なのです。
 新しい一年を歩み出している神の家族の皆さん、創造者なる神はあなたを新しく変えようと計画をもっておられます。その神が望んでおられることはただ一つ、弱さを認め、すべてを神の御手にゆだねる信仰です。