2016.2.21

 信仰告白の岩の上に立つ教会』(マタイによる福音書16:13〜20)
 本日の御言葉はイエス様による初めての受難予告がされている箇所です。いよいよイエス様は公の生涯における最後の旅であるエルサレムへの旅を始められます。ちょうどその頃、イエス様は弟子に一つの質問を投げかけられます。「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」・・・この質問に弟子たちは答えなければならなかったのです。イエス様が関心をもっておられるのは、「人々」という漠然とした対象による評価ではなく、日々共に歩んでいる「弟子たち」からの心からの告白を期待しておられたことでしょう。その時、たった一人ペトロが答えます。「あなたはメシア、生ける神の子です」と。このペトロの信仰告白に応えられる形でイエス様の受難予告がなされていることが大切なのです。
 イエス様はペトロの信仰告白を喜ばれ、「シモン、あなたは幸いだ」と言われます。それからイエス様は「ペトロ」という名前が示すように、「“岩”の上にキリストの教会を建てる」と宣言されます。それだけではありません。彼に天の国の鍵を授けると約束をされます。ここでイエス様が言われている「岩」とは、人間ペトロを指しているわけではありません。そうではなく、「イエスを生ける神の子、メシアだ」と告白する信仰を表しているのです。その信仰告白の上に教会を建てるという意味だったのです。まさに「イエス・キリストをこの地に来られた神の子、メシア」だと告白する者の集まりが教会であります。この信仰をもつ人たちが集う共同体が教会なのです。そして確かな信仰告白の岩の上に立っている教会はどのような悪しき力、陰府の力が戦いを挑んで来ても揺らぐことはありませんし、勝利の賛美を歌うことになるのです。
 それから聖書は「その時から、イエス様自ら苦しみを受け十字架の上で死なれ、甦られることを打ち明け始められた」と記しています。それほど、イエス様の苦難の道と弟子たちの信仰告白は離してはならない関係にあることを紹介してくれているのです。主イエスキリスト者と教会共同体に望まれていることは2000年前も今現在も変わっていません。キリストの教会は確かな信仰告白の岩の上に建てられることで、どのような試練や試みに対しても影響されず、福音伝道に励むことになるのです。信仰告白が曖昧で、人間の思いが優先されている教会は少しの試練や試みにも崩れ、破れてしまうのです。
 受難節を過ごしている神の家族お一人お一人、特に執事選挙を控えている小泉町教会の群れに尋ねられる「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」という主イエスの質問に確かな信仰告白の岩を据えるわたしたちでありますように、そうすればわたしたちの教会を通して主は栄光を現してくださることでしょう。ハレルヤ!