2016.3.20

『十字架は愛です』(ヨハネの手紙一 3:16〜18)
 今日から受難週に入ります。イエス様が十字架にかかるためにエルサレムに入城されてから十字架にかかり死ぬという出来事のあった一週間を受難週と言います。
 キリスト者はキリストの人です。キリストを知っているというのはキリストの十字架を知っていると言う言葉と同じです。一人のキリスト者が神の愛をどれほど深く体験したのかは十字架をどれほど深く経験したのかに対する答えと同じです。
 あなたは十字架のイエス様に出会いましたか。わたしたちは神様についての様々な体験をもっています。しかし、わたしたちがいくら神様の存在と神様の働きに関する体験をもっていようとも、イエス・キリストの十字架の愛の体験がなければ、本当の神様との交わりに入ったとは言えないでしょう。なぜならば神はイエス・キリストを通してご自身を現されましたし、十字架の死を通して神の愛を示してくださったからです。ですから、十字架を通して成し遂げられたイエス・キリストの御業に触れることでわたしたちは神様がどのようなお方であるかをはっきりと知ることになるのです。つまり十字架を除いてわたしたちは決して神を知ることはできないのです。
 本日、与えられた聖書の御言葉、「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。」(3:16)・・・神の愛を知るとは命を捨てた十字架の愛を知ることです。
 愛する皆さん、今のわたしたちを囲む世界は計り知れない痛みと深い傷跡で苦しんでいる人々で満ちています。また、わたしたちの内なる世界においても同じく誰にも言えない痛みと傷が存在します。しかしこれらのすべての痛みと傷は、神の独り子イエス・キリストが十字架の愛で受け取ってくださいます。罪のないイエス様が罪人のわたしたちの身代わりとして十字架の痛みと傷を帯びられるゆえに、わたしたちの救い主、命の主となられるのです。ですから、目を上げて十字架にかけられたイエス・キリストを見つめましょう。その十字架の愛にすがりつつ、神の愛に生きるあなたとわたしでありますように・・・。ハレルヤ!