2016.3.27

 『わたしは万物を新しくする』(ヨハネの黙示録 21:1〜8)
 イースターおめでとうございます。わたしとあなたの罪のために十字架の上で身代わりとして死んでくださり、三日目の日曜日の朝に、墓の中から復活なさったイエス・キリストを心から賛美いたしましょう。またこのイースターの朝、ヨハネ黙示録に記された復活の祝福に与っている神の民に約束されている天の御国の姿を通して父なる神の確かな希望と慰めの御言葉を分かち合いたいと願います。
 ヨハネは新しい天と新しい地をみています。最初の天と地はすべて去っていきます。神は、初めに世界と人間を創造された時、“極めて良かった”とされました。しかし、造られた世界は人間の罪と欲望によって破壊され、呻いていると聖書は教えています。しかし創造者なる神はやがて「見よ、わたしは万物を新しくする」(21:5)と言われます。そして 「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」(21:3-4)と約束しておられます。
 「新しい天と地」とは、本質的にまったく新しくなった世界のことを言います。また「新しい天と地」とは、「神が人と共に住まわれる」というところです。そして「神が人と共に住まわれる」とは、主なる神が、わたしたちが味わうべきあらゆる悲しみ、嘆きと労苦といったものをすべてご存じであるという約束であり、やがて人間の味わう究極の苦しみである死、神の民の目の涙をことごとくぬぐい取ってくださるという意味であるとヨハネは歌っているのです。これこそ復活信仰をもち、復活信仰に生きている人が抱くべき天の御国への確信なのです。
 本日の礼拝の中では、先に召天された神の家族を偲びます。しかしそのことはヨハネの言葉によれば、信仰の確信からなる希望であり、祝福であることが分かります。あなたはこの確信、この希望と祝福に与っていますか。死を打ち破り復活なさったこの日、復活信仰を確かめ、天の御国の来られるのを待ち望みつつ歩み続けましょう。
「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。」(21:6)