2016.5.15

『命をもたらす風なる聖霊(創世記1:1〜2、 使徒言行録2:1〜4)             
 ペンテコステおめでとうございます。本日は教会の誕生日であり、イエス様の約束された助け主としてわたしたちのうちにやって来られた聖霊を喜び祝う礼拝です。世界の人々の中にクリスマスのことを知らない人はいませんし、イースターについても何とか分かっていることでしょう。しかし、ペンテコステというとほとんどの人は知りません。けれども、ペンテコステ、すなわち聖霊が人の歴史のただ中に来られたことによって世界は変革を迎えたわけですし、新しい創造の業が始まることになったのです。   
 聖霊が初代教会の群れの上に激しい風と共に臨まれた日に起きた変化として、まず弱虫であったペトロが偉大な伝道者に変えられましたし、他の弟子たちも地の果てとされていた場所に命をかけて伝道する人に造り変えられます。また120名の敗北者たちが福音の勇者に変わります。もしペンテコステがなかったら、ここ日本まで福音が伝わってくることはなかったし、私たちはいまだ救いを知らない民になっていたはずです。特に、聖霊は今も生きて働かれる方、私たちを日々導かれ、交わってくださるお方であるので、聖霊なしではわたしたちの教会も、わたしたちの人生も、希望も語れませんし、成り立たなかったはずです。
 命をもたらす聖霊は一人一人の魂の内に、また共同体の内にご自身を吹き込まれることですべてを新しくしてくださいます。聖書は聖霊の働きを創世記1:1,2から早速記しています。「初めに、神は天地を創造された。・・・神の霊が水の面を動いていた。」 ・・・創造のただ中におられ命をもたらされた聖霊の働きはその後、人を造られる時も、紅海を渡る出エジプトの時も、エゼキエルが見た枯れた無数の骨を希望の集団と変えられる時も、そして初代教会の誕生も地の果てに至る福音の勇士とするために人々が変えられる時も、聖霊が圧倒的な命をもたらす風として働かれるさまを聖書は描いてくれます。
 聖霊は目には見えないけれども、風のように、息のように、わたしたちを囲み、わたしたちを生かし、行くべき道を作り、永遠に変わることのない命で包んでくださるお方なのです。ですから、聖霊との交わりと助けがなければ私たちは何もできませんし、命溢れる信仰生活も、また命を生み出す働きもできないのです。そうです。教会の命は聖霊の風に満たされることにかかっているのです。