2016.12.25

『光は暗闇の中で輝いている』 (ヨハネによる福音書1:1〜5、9〜14)
 救い主のお誕生をお祝いいたします!!!
 今日の聖書を見ると、イエス様を創造者であると同時に「光」であると教えます。とりわけ9節では、イエス様を「光」として、しかも「真の光」として紹介しています。“その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。(9節)”・・・神ご自身であり、神の独り子なるイエス様がこの地に来られた理由、それは世界が暗闇の中に捕らわれていて、人々が暗闇の中で滅びていたからです。イエス様はこの暗闇の世界の「光」となるために来られたのです。その日がクリスマスなのです。
 しかし聖書は、人たちが光を受け入れなかったと証言します。その理由こそ、暗闇を喜び、光によって暗闇が明らかにされるのを恐れたからです。よくニュースなどで、犯罪を犯した人にカメラのフラッシュが当たると必死に自分の顔を隠そうとしていることをよく見ることができます。光を恐れ恥ずかしく思っていたからでしょう。暗闇の中にいる人たちは、自分の暗闇と自分の汚い罪が光によって暴露されることを恐れ、かえって光を拒み、光から逃げてしまったのです。その結果、世界はますます暗闇の力が支配するようになってしまったのです。今も多くの人たちが暗闇の中に逃げて、暗闇を好み、暗闇の中に生きている現実です。しかし、忘れてはならないことは、光から逃げるのは解決にはならないということです。光に直面しなければならなりません。実際、光に照らされ、自分の暗い部分に気づいた人は、自分の内にある暗闇を無くそうとし、片づけようとします。
 今日の聖書では、光を受け入れる人への約束の言葉を、次のように示してくださいます。
“しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。(12節)”世の光なるイエス・キリストを受け入れた人には、神の子どもとなる資格、つまり、神の子の特権を与えてくれた!というのです。クリスマスは、わたしたちの光となるため、神の子どもとなる特権を与えてくれるためにわたしたちの人生の中に神の独り子イエス・キリストが来られた日です。その方を心の中にお迎えする日、その方と共に歩み出す日こそクリスマスなのです。
 真の光なるイエス・キリストが、わたしの傷ついた心、暗闇の中で不安と恐れを生きる人生、人間関係の問題で涙する日々のただ中に、光として来られる。真の光が照らされるところに新しい創造が始まるのです。
 本日の礼拝の中で、M姉のバプテスマ式を執り行なうことになります。M姉の人生の中にイエス様が光として来られ、彼女の内側の悲しみや悩み、孤独、弱さ、憎しみなどの様々な暗闇を照らしてくださいました。しかし、暗闇を照らす光の働きは、一度限りの働きではありません。「光は今よりとこしえまで、暗闇の中で輝いている」という約束、M姉の生涯において一時さえも離れることがなく、輝き続けていることを約束しておられるのです。また、この約束はイエス・キリストを受け入れたすべての人に示されていることを覚えましょう。ハレルヤ!