2017.1.8

〜 酉年に思うこと 〜
 2017年に入って2週目です。今年は“酉年”で、十二支の10番目に来る動物として酉(とり)、とりわけ覚えやすくするために“鶏”が当てられているそうです。
 昔から鶏は目覚まし時計の代わりに、日の出を知らせる役割を果たしていましたし、毎日卵を産んでくれるありがたい動物です。わたしが小学校6年生の時から100羽ほどの鶏を飼っていて、毎日ペット代わりに鶏たちと遊んでいたことは思い出の中、最も楽しいものでした。
 聖書に登場する有名な鶏の物語は言うまでもなく、鶏が鳴く前にペトロが3度イエス様を知らないと否認するという話です。その時の鶏の鳴き声はペトロの人生において、絶えずチャレンジし、彼の信仰を立ち直らせる役割を果たしていたことでしょう。マルコ13:35では、 “だから、目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、あなたがたには分からないからである。”と記されている通り、イエス・キリストの再臨を表す道具として大切に用いられていたことが記されています。
 今年の小さな泉の群れに求められる働きが鶏のような働きではないかと思いますが、いかがでしょうか。周りの人々に暗闇の終わりを告げ、希望の朝がもうすぐくることを知らせる働きを、そして人々の失われていたイエス様との約束と信仰の感動を呼び起こす働きを、また、産みの苦しみを通して救われる民を誕生させる祝福の働きを始める私と神の家族お一人お一人でありますように・・・。私たちを通して御業を成してくださる主を賛美しましょう。シャローム