2017.1.8

『わたしはあなたを喜ぶ 』 (マルコによる福音書1:9〜15)
 新しい一年をプレゼントとしてくださった主の恵みが神の家族お一人お一人の上に豊かにありますように。
 先週わたしは出エジプト記の言葉と荒野を旅する神の民が味わった出来事を通して、荒野こそ神の導きと神の恵みを体験できる訓練の場所であることを分かち合いました。
 そして今日の御言葉には、イエス様がヨハネよりバプテスマを受けられた後、聖霊によって荒野に送り出されたことが記されています。「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」(11節,新改訳)という神の声が聞かされてすぐ、荒野に送り出される。その急な切り替えに戸惑いながらも、イエス様への父なる神の御心を感じ取ることができます。
 聖書が教える荒野はサタンによる誘惑を受ける場所であり、神との交わりの場所、恵みを受ける場所でした。イエス様は荒野で40日間、サタンから誘惑を受けられました。それでは、イエス様へのサタンの誘惑はこの40日間で終わったでしょうか。いいえ、サタンの誘惑と攻撃はイエス様の全生涯を通して絶えず続けられていたことを聖書は教えています。ですからイエス様にとっての荒野は、これから始まるサタンやこの世の秩序、人々の欲望との戦いのための前哨戦であったと言えましょう。まさに、イエス様の生涯そのものが荒野であったと言っても過言ではありません。
 聖書は繰り返し私たちの人生を荒野にたとえています。この人生の荒野において、私たちはサタンによって誘惑を受け、この世の野獣とされる経済的攻撃、人間関係からの攻撃、欲望からの攻撃など様々な誘惑と戦いに立たされることになるでしょう。しかし、私たちが恐れることがない理由、それはイエス様が私たちより先に荒野の誘惑の道を歩まれ、その戦いに勝利されたということでしょう。それから、ここで興味深い表現に注目したいのですが、荒野のイエス様は、サタンと野獣に囲まれてはいたけれども、それだけでなく、「天使たちが仕えていた。」(13節)ということです。
この言葉は、私たちにとって大きな慰めとなります。荒野はサタンと野獣が満ちている場所でもありますが、同時に、聖霊と天使たちの助けと支えを受けるところでもあるということです
“時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。”(15) イエス様にとって神の国は、遠いところにある未来的実体ではありません。今、私たちの目の前に来ている現実です。それでは、神の国に入れる人は誰でしょうか?・・・神の国に入れる条件はただ一つ、悔い改めて福音を信じる者です。「悔い改め」ということは、神に背を向けて生きていた人生から抜け出し、神に向かって方向転換をして生きることです。すなわち、神に喜ばれる人生を生きることです。それでは、「神に喜ばれる」とはどういうことでしょうか。それこそ、御心に適った生き方を選び、実践して生きるということでしょう。
 この一年、「あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ」という父なる神の御声を聞きながら、神に喜ばれる働き人として、神の国にふさわしい歩みを続ける神の家族お一人お一人でありますように・・・。ハレルヤ!