2017.1.15

 〜 不確かさを生きるキリスト者へ 〜
 今年ほど明日のことを予測することの難しい時はなかったと思います。その中でも、アメリカの新しい大統領にドナルド・トランプが選ばれたことで、彼のもっているナショナリズムや差別的な考え方がもたらすであろう世界規模の政治・経済・軍事などの変化に対する世界中の不安は大変なものでしょう。その他にも欧州の相次ぐ選挙と難民問題、領土問題、また、ISなどの過激派組織による相次ぐテロへの悩みなど。それに加え、温暖化による自然災害と地震は今年も多くの被害を及ぼすことになるでしょう。
 また、私たちの住んでいる日本の方はどのように変わっていくでしょうか。日本の政治は?経済は?地域は、・・・。心の中に何とも言えない不安が広がっている人々の姿です。
“明日のことは明日自らが思い悩む”と教えられたイエス様の言葉を大切に覚えてはいるけれど、今の世界の不確かさのゆえに揺れ動いてしまう私たちかもしれません。その時、心に響く老使徒パウロの言葉に耳を傾けたい。・・・“しかし、終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、…高慢になり、神をあざけり、…神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。(Ⅱテモテ3:1-5) 願わくは、今年も「マラナ・タ」と、主の来られるのを待ち望みつつ、自己愛でなく、神と隣人への愛を燃やしていただきましょう。不確かさを生き抜くキリスト者の生き方こそ、愛に立ち、十字架の愛を貫くことです。シャローム