2017.1.22

『 あなたの証しは 』 (Ⅱテモテ4:17〜18)
 クリスチャンは証しをする者です。何を証しするかというと神様について、そしてその神がどのように自分を導き、助け、救い出してくださったのかを証しする者です。この世の人は出来るだけ「自分自身のこと」をPRすることに熱心ですが、クリスチャンはただただ天地万物を造られた創造者なる神、そして私を命まで捨てて愛し十字架の上で救い出してくださったイエス様、そしてお墓より復活して私に永遠の命の道を示してくださり、今も共に歩んでおられる復活の主をほめたたえ、周りの人たちに証しするのです。その証しが具体的な形として現れたのが「伝道」なのです。
 聖書の中に伝道者として、先頭に立って私たちにチャレンジしている人が「使徒パウロ」です。今日私は証し礼拝ということもあって、使徒パウロの伝道者としての姿、そして彼の中心的な証しの内容を分かち合う中で、私たちの持つべき証しの内容を確かめる時を過ごしたいと願います。
 パウロはもともとクリスチャンたちを迫害していた熱心なユダヤ教徒でした。しかし、パウロはタマスコスの道端で復活した主イエスに出会い、人生の生き方に革命的な変化を経験することになります。その後から、彼は復活の主イエスより「異邦人の伝道者」としての召命を受け、福音のために世界を巡りながら生涯を献げる者となります。その伝道者としての歩みは老年になっても、いや天に召される最後の瞬間まで止まることはありませんでした。
 彼の伝道者としての原動力となったのは、主イエスに出会った時の感動、その恵みにひたすら生きることでした。彼は一生の間、この感動と恵みから離れたことはありませんでした。今日の御言葉にその姿がよく示されています。・・・「しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。 」(Ⅱテモテ4:17〜18)
 とりわけパウロの証しにおいて私たちに慰めとなってくれる言葉が、「自分の弱さを誇りましょう。わたしは弱いときにこそ強いからです。」と言えましょう。彼がイエス様によって異邦人の伝道者とされてから被った、ありとあらゆる苦難や死の危険、病気などのゆえに、彼の体には「イエスの焼き印」と見られるものがたくさん刻まれていて、それらによる苦しみも絶えませんでした。しかし、パウロはそれらの苦難や苦しみ、痛みに挫けません。むしろ自らが味わっている弱さを通して働かれるイエス・キリストの恵みがパウロを強めていたのです。愛する神の家族の皆さん、今年の私たちの歩みが「証しの日常化」を通して神に栄光を帰する日々となりますように。主に栄光を!