2017.2.5

『 御言葉を食べる 』 〜荒野の食卓〜(申命記8:1〜5)
 2017年の最初の一カ月が、もう過ぎていきました。皆さんにとって1月はいかがだったでしょうか。充実した1ヶ月だったでしょうか。もう自分自身に失望している方はいませんか。しかし、イエス様が私たちに語られるメッセージは、過去のことに捕らわれて自分を苦しめることを捨て、明日のことを心配して小さくならず、何よりも今日というあなたが生きている時間を感謝し、あなたと共に歩まれるイエス様の励ましと力をいただきながら、今の時に最善を尽くすこと、そんな中でイエス様はあなたを助け、あなたに必要とされる道を示され、導かれることでしょう。
 そこで私は、神の家族と共にもう一度御言葉の黙想の大切さを、その中でも最近新しく私たちの群れに加わっている方々のためにも、御言葉との日々の交わりと、御言葉をいただくことの素晴らしさを分かち合いたいと思い、「御言葉を食べる」〜荒野の食卓〜という題で、恵みをいただきたいと願うのです。
 昔エジプトを脱出したイスラエルの民は、神の導きのもと、40年間に及ぶ荒野の旅を続けました。神の約束の地、乳と蜜の溢れるカナンに入るためには、神の民にふさわしい訓練が求められていたからです。そこで神は、荒野の40年間を通して、すべてを神にゆだね従う、聖なる神の民を作るための訓練を与えられたのです。
 荒野という食べ物も、飲み物も得られない状況において、数十万から百万を超えるイスラエルの民を、神は40年間守られ満たしてくださった。時に適って岩から泉を、天からマナとウズラをくださった。また、昼には雲の柱で、夜には火の柱で行くべき道へと導かれた。神は、荒野という人が住めない場所で神の民イスラエルを養い、訓練し、ご自身を知らせてくださった。そして約束の地カナンにふさわしい信仰の民、神に喜ばれる民に造り変えられたわけです。
 荒野のような私たちの人生です。常に食べ物に、権力に、名誉と快楽に試みられ、苦しめられる人生の荒野で、神は私たちを生かし、日々これらの試みに打ち勝てる知恵と恵みを賜る。そして神は荒野を生き抜くためのヒントを、御言葉をもって示してくださいました。「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる」(申命記8:3)・・・そうです。主の口から出る一つ一つの言葉で生きることを知らせるために、神は荒野の旅を備えられたと、御言葉は教えているのです。
 あなたは、毎日肉体を満たすパンだけでなく、父なる神の口から出る一つ一つの言葉を食べていますか。あまりの忙しさと、混乱した生活のゆえに御言葉を食べることを避け続け、あなたの魂は痩せてしまい、この世の悪しき力、サタンによる試みに、対抗することすらできなくなってはいませんか。
 イエス様が40日間の荒野での悪霊による試みに打ち勝った唯一の道こそ、毎日御言葉を食べることでした。 イエス様は毎朝早くまだ暗いうちに、人里離れた荒野へ行かれ、そこに備えられた魂の食卓で父なる神との楽しい交わりの時を過ごされたことを覚えましょう。毎日、あなたの荒野においても恵みの食卓がもうけられますように・・・。ハレルヤ!