2017.4.23

神の国の成長の神秘 』 (マルコによる福音書4:26〜29)
 イエス様の公生涯において最も力を注いだのが、「弟子訓練」でした。12名の弟子たちは当時の社会の価値観から言えば、みすぼらしく物足りない人々でした。しかし、イエス様は、弟子たちを変えていかれます。その弟子たちを成長させるためのイエス様のお姿は、まさに農夫の姿でした。“種を蒔き、水と肥料をやり、雑草を取り除き、害虫や悪天候から守り待ち続ける”農夫の姿。十字架に死なれるその時まで、いや復活の後も、弟子たちの成長のためのイエス様の忍耐と働きは、終わることはありませんでした。真にイエス様に出会った人は、すべてが新しい人に変えられ、新しい人生を生きていきました。ペトロが、ヨハネが、パウロがそうでした。そして、イエス様は今日の私たち小さな群れ、またあなたの成長を待っておられます。
 本日与えられている箇所は、マルコによる福音書だけに記されている、「知らず知らずに成長する種」の譬えであります。“ある農夫が種を蒔いた後、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。(4:26〜28)”
もともとこの譬えは、イエス様の昇天後、迫害と苦難の中、福音宣教の業に励んでいた初代教会への、イエス様からの慰めと希望のメッセージであったと言われています。
 農夫が種を蒔いた時から、種の成長が農夫の手から離れてしまうように、神の国の種は自ら成長していくもの。種の中に潜んでいる神の命、その凄まじい力は、人の思いをはるかに超えるものであることを聖書は教えているのです。それと同じように、神の国、神の福音伝道は、目には見えないけれども、この世の中にあってゆっくりであるけれども、確実に成長している。これは私たちの教会の成長においても同じことが言えるのではないでしょうか。
私たちが福音の種を蒔いておきさえすれば、やがて実が結ばれる。すべては神の御手にあり、神が配慮なさることですから、人間の側で急いだり、焦ったりしてはならないのです。求められるのは、「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。」(詩編126:5)という信仰の姿勢でしょう。
 私たちはこのたとえから、人間の無力さを教えられます。そして、その無力さを知る人だからこそ、神様の驚くべき命の御業への信頼と、信仰へと進むことになると教えられます。自分の弱さ、自分の限界、自分の無力さを知ることこそが、信仰の成長へと進んでいく道なのです。
 本日は、2017年度の定期総会の日、わが共同体と、一人一人の成長へのイエス様の約束を信じつつ、ゆだねられた福音伝道と、弟子訓練の種蒔きを励み続けていきましょう。ハレルヤ!