2017.6.11

『 立ち上がる教会 』 使徒言行録2:36〜42)
 ペンテコステ聖霊の圧倒的な力を体験したイエス様の弟子たちは立ち上がりました。恐れと不安、疑いの中で小さくなっていた彼らの暗かった心は消え、光に包まれるようになったのです。今まで彼らを捕えていた宗教指導者たちからの脅しも、ローマ軍隊の暴力や剣の恐怖も彼らを支配することはできませんでした。弟子たちは閉じてあった門を開けて、人々の前に立ちます。そして大胆にイエス様のことを宣べ伝えます。弟子たちの代表としてペトロが声を上げて神のメッセージを語り始めます。「すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。」(2:14)
 ここで「声を張り上げ、話し始めた」とは、大胆に語ったことを意味します。彼はもう恥じることも、隠すもこともありません。彼が体験し、聖霊が言われることに加えたり差し引くことなく、明確な真理を語ったということです。ペトロは預言者ヨエルの言葉とダビデ王の言葉などを用いてイエス・キリストがメシアであり、聖書の約束通り、聖霊がすべての人の上に臨まれることを語ります。それから、ペトロは、神の独り子イエス・キリストの十字架の苦しみと死、また復活、昇天の出来事により、神の救いの道が開かれたことを宣言しているのです。「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(2:36) ・・・そうです。神は、私たちが受けるべき裁きや呪いを、十字架のイエス・キリストに負わせられました。そのことによって、裁きと呪いの日が、神の輝かしい救いが実現された日に変えられたのです。ですから、今やイエス・キリストを信じる者は誰でも、主の救いの祝福に与ることができる。イエス・キリストを十字架にかけた罪人であって私たちを、神の裁きと呪いから免れ、救いの道を歩むようにしてくださったのです。
 人々は、ペトロの説教を通して、自分たちの取り返しのつかない罪深さに心打たれ、声を上げ、ペトロと使徒たちに尋ねます。「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか。」(2:37)と。・・・この質問こそ、救いの入り口です。「わたしは何者で、わたしは何をすればこの罪と汚れから救われるだろうか」という人間の根源的な質問だったのです。これに対しペトロは躊躇なく宣言します。「悔い改めなさい。」(2:38)と。「悔い改め」は、私たち全存在が新しくなる過程の始まりです。悔い改めにより3,000人が救いに入れられ、教会は立ち上がりました。
 願わくは、小泉町教会の一人一人が聖霊に満たされ、ペトロのように、自分の弱さと罪深さから聖霊の助けをいただいて悔い改め、命をもたらす働き人として立ち上がり、聖霊によるリバイバルを生きる群れになるように・・・。