2017.10.8

〜 信仰する感動を忘れていませんか 〜 
 “信仰は感動を生きること”、私の信仰生活において絶えず心に呼びかけることです。なぜならば、信仰する感動を失ってしまうことで、つまらない信仰生活になるからです。ある人は、そのことを“信仰の初心に帰る”と言うでしょう。“初心”の辞典的な意味は、“最初に思い立ったときの純真な気持ち”とありましたね。最初の純真で熱く燃える信心はいつの間にか薄れていき、人の目に映る習慣化してしまった信仰者の姿が重んじられてしまう・・・。
 聖書の人物をはじめ、信仰する感動を失った信仰の先輩たちのことを覚えます。彼らはなぜ感動を忘れてしまったのだろうか。ある日から、神に選ばれ救われたという感動が、生活の忙しさや世俗的欲望の優先順位から後に回され、神の御言葉を聞こうとする飢え渇く心を失い、神を王と拝み、従っていた生活から、自分が王座に就き自分が王として君臨するようになってしまう。神からの恵みを自分の努力に替え、神の業を自分の功績に替えようとする誘惑に負けてしまう・・・。心の底からは、神との幸せだった時の感動を回復したいと思いつつも、その心の叫び声に、あえて目をつぶってしまうのが多くのクリスチャンの現実ではないでしょうか。
 宗教改革こそ、失ってしまった信仰の感動を回復させるための神からの働きかけであって、その働きかけに素直に応答し、命をかけて従順に従おうとした人々が一つとなった恵みの出来事であります。主イエスが言われた、“新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるべきだ”という御言葉は、クリスチャンのいついかなる時にも要求されていることを忘れてはなりません。主イエスは、私たちが信仰を回復し、感動に満ちるようにと望んでおられる。そのためには新しいぶどう酒である福音の御言葉に飢え渇きを覚え、聖霊に触れていただくことから始めるべきである。そこで主は私たちに感動を与えられ、どのような革袋が必要であるかを教えてくださるはずです。信仰は感動です!