2017.11.19

『 とげを感謝できますか 』 (Ⅱコリントの信徒への手紙12:5〜10)
 聖書の登場人物の中で使徒パウロほど福音のためにたくさんの苦難を受けた人がいるでしょうか。パウロが受けていた苦難について聖書は、「生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟した」(Ⅱコリント1章)時期もあったことを記しています。しかし、彼をそのような辛い苦難から立ち直らせてくれたことこそ、「感謝の信仰」でした。彼は四方八方が閉ざされているような絶望の時であっても「感謝の信仰」を失うことはありませんでした。パウロのすべての手紙で繰り返し強調している言葉が「感謝」であることを覚えましょう。彼の手紙に紹介される感謝への言葉をまとめますと、“絶えず感謝し、すべてのことに感謝し、感謝を生きる者になりなさい。”というチャレンジです。牢屋に捕えられている囚人でありながらも牢の外にいる自由な人々に、また伝道旅行の最中で被った飢えや貧しさにいながらもこの世においてすべてに富んでいる人々に、彼自身は肉体的な病に苦しみながらも健康な人々に向けて、感謝しなさい!感謝ですよ!感謝を生きなさい!と、感謝を勧めているのです。
 とりわけパウロの感謝の信仰を象徴する出来事として本日の御言葉に描かれている「とげまでも感謝する信仰」があるのではないでしょうか。彼の表現を借りれば、彼の肉体には一つのとげが与えられていました。彼の言うとげが何を意味しているのかは定かではありませんが、その肉体のとげのゆえに長い間苦しみを覚えていたことが記されています。その病名として眼疾、てんかんなどが多くの聖書学者たちより挙げられています。
 「とげ」は命には直接影響はありませんが、その人を常に苦しめ、体の中から離れないものです。だからパウロは彼の肉体を苦しめるとげさえなくなれば、幸せになれると思っていたことでしょう。そこで彼は信仰と願望を込めて神の癒しと助けを祈ります。しかし主イエスパウロのそれを許されなかった。“すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さでこそ十分に発揮されるのだ」・・・ここで素晴らしいことに、パウロは自分の祈りに対する神の決定に対して失望したり、落胆したりしませんでした。彼は主イエスの御心に反抗しません。御心に従い、感謝をささげます。なぜならば、彼にとげが与えられている理由をすでに知っていたからです。神はパウロが「思い上がることのないように」(7節)と、プレゼントとしてとげを与えてくださったのです。パウロはとげが神からのプレゼントであることを知った時から、謙遜を衣とし主の御前にひざまずき、弱さを誇る人に変えられます。パウロのその後の信仰告白に目を向けましょう。”だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう(9節)。“
 主イエスはとげを通して人生を作って行かれるお方です。あなたはあなたを苦しめるとげを感謝できますか。