2018.7.15

『苦難の中からの歌』詩編107:1〜15)
“苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから救ってくださった。(107:6)”
 私たちの神は、神の人をその苦難の中から救い出してくださるお方です。詩編107編は、イスラエル共同体に属している人々が味わったそれぞれの苦難の内容を語りながら、それぞれの厳しい苦難の中から、ふさわしい御業をもって救い出された神への感謝を、一つにまとめて共同体の信仰告白として声高らかに歌っているのです。“主に感謝せよ。主は慈しみ深く人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。(107:8)”と。
 先週私たちは西日本豪雨によって死者だけで200名を超えるという大きな災難に遭いました。多くの方が言われるように、まるで東日本大震災を見るかのような状況なのかもしれません。私たちに出来ることを探しつつ、神の憐れみと慰め、助けを切に祈りましょう。
 さて、このような苦難のただ中で私たちは詩人のように讃美できるでしょうか。もしあなたがその試練の只中にあったとしたらどのような反応を見せるでしょうか。パウロ“だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・・(ローマ8:35)”と語っているように、私たちの身の周りに起きるどのような出来事も神の愛から引き離すことはできないことを歌っています。
 私たちの神はご自身の恵みを神の民に示すために、人間の力では救い出せない状況へと追い込まれることがあります。それは神の子どもたちを苦しめるためではなく、神がどのような方であるかを、また、どんな状況においても神が救い出されることを経験させるためです。聖書の歴史の中にも何度もそのようなことが記されています。かつての出エジプトにおいても、荒野においても、バビロン捕囚においてもそうでした。それらの厳しい出来事を通して、神はご自身がどんな方であるか、神が望まれるのが何であるかを、また、全能なる神の力を示すために、厳しい試練と苦難を与えられたのです。災害の経験、厳しい病の経験、飢え渇きの経験、束縛の経験、先の見えない行き詰まりの経験、また、失敗と挫折、敵による患難、労苦、そうしたすべてが、やがて神への信仰告白へと変えられることを体験するのです。
 20日は、私たち「富山小泉町キリスト教会」の教会組織18周年記念日です。教会開拓からは58年、その間に、信仰の先輩たちは試練と苦難、挫折など、今の私たちが知らない歴史を経験して来られたことでしょう。そこで考えてみるのです。今は天に召されている信仰の先輩たちは58年を振り返りながら、“神のなされたことはすべてその時に適って美しかった!(コヘレト3:11)”と讃美の声をあげられることでしょう。
 これからの私たちの人生の航海においても、いろいろな苦難に遭い、不安や心配に覆われ、失敗する時があるでしょう。でも、その時、すべてが神の御手の助けと導きの中にあることを信じ、恵みと慈しみに満ち溢れる神に讃美の声を上げつつ歩み続ける神の家族お一人お一人、また富山小泉町キリスト教会の群れであるように。ハレルヤ!