2018.10.14

『 御言葉に立つ 』 (イザヤ40:6〜9)
 クリスチャンの生活の中で毎日起きている3つの奇跡があるそうです。
まず、イエス様を信じているといいながら聖書の言葉を読もうとしないこと、次は、イエス様を愛しているといいながら人々にイエス様の愛を伝えないこと、最後に、それにも関わらずイエス様を信じて愛していると堂々と話していることだという奇跡・・・。私たちはいかがでしょうか。
 10月は宗教改革を振り返り、学ぶ月です。ヨーロッパ各地で起きた宗教改革の流れには共通する特徴がありました。それは言うまでもなく「聖書」という神様の御言葉を大切にし御言葉の上に立とうとしていた人たちが用いられたということです。宗教改革を成し遂げる力となっていた「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ」という三原則も、最初の「聖書のみ」がなければ成り立たなかったはずですし、聖書の御言葉の上に立ったからこそ揺らぐことなく中世カトリックとの戦いに勝利することができたのです。ウィクリフヤン・フスマルティン・ルター、ジャン・カルバン、ツビングリなど宗教改革の先駆者たちは、ただ神の御言葉のみが、堕落した教会を聖くすることができ、御言葉の力によってのみ教会のリバイバルが成し遂げられると信じていたのです。しかし「御言葉の上に立つ」という信仰姿勢は、現代の私たちの信仰生活においても同じく適用しなければならないことを覚えましょう。とりわけ目まぐるしく変わっていく現代世界を生きる私たちが土台を置くべきところこそ、「御言葉」の上に立ち、御言葉に従い、御言葉に導かれることであることを心がけるべきです。
“草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむがわたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。(40:7〜8)”  「我ここに立つ」、マルティン・ルターがヴォルムス公会議において命をかけて叫んだ言葉です。この叫びには神と御言葉への揺るがないルターの信仰が現されています。この言葉は時代と状況を超えて、すべてのクリスチャンにチャレンジしてくるのです。「今、あなたが立っている場所はどこなのか」と。宗教改革の精神を振り返るこの季節、私たちの信仰が立っている土台が御言葉であるかを確かめましょう。すべてのものが変わりつつあるこの時代、そして私たちを変える力こそ聖書の御言葉であることをもう一度心がけましょう。願わくは、“霊の糧である御言葉を食べなければ一日を始めない!”という覚悟をもって、毎日、口を広く開けて御言葉をいただき、御言葉による変革へと導かれる祝福されたお一人お一人でありますように・・・。シャローム