2011.5.8(母の日礼拝)

  『 残すべき遺産 』(ヨシュア24:14〜15)

 わたしたちの人生において最も偉大な時、最も厳粛な時と言えば、死を前にして残された人々への最後の言葉(遺言)を伝える時ではないかと思います。特に最近の東日本大震災を経験しがら、突然訪れる人生の終わりの日のために、わたしたちは家族と子どもたちに「残すべき遺産」を真剣に考えなければならない問いに立たされているような気がしてなりません。
 神の偉大な僕モーセ詩編90編の詩を通して、“自分に残されている生涯を正しく数えるように知恵ある心をください!”と祈っていたように、わたしたちも同じく自分自身の生涯の残された日々を正しく数えることができれば、残された日々は今までとは違った意味をもつようになるでしょう。
本日の聖書人物のヨシュアは、イスラエルの民がエジプトを脱出してからの二代目の指導者でした。ご存知のようにモーセという偉大な指導者の後をついで、イスラエルの民を乳と蜜で溢れる土地カナンへと導き、その地を征服し定着するまでに先頭に立って働いていた指導者でした。そして、いよいよ年老いて死を迎える日が近づいていることに気づいたヨシュアは、全イスラエルをシケムに集めて、歴史に残る有名な遺言を語ります。その内容が今日の本文の御言葉です。
実はシケムに集まる前に、すでに征服した土地と征服すべき土地を各部族、家族へと分け与えたヨシュアでした。しかし、土地の分割より大切に残すべき遺産があることをぜひ伝えたかった!それを聖書は、あなたがたの人生において①誰を畏れるべきなのか ②誰に仕えるべきなのかについて、正しい選びをするための信仰の遺産を残したかったと教えています。そのために、ヨシュアは一つの確信に満ちた誓いをイスラエル民の前で立てています。その誓いこそ、
“わたしとわたしの家は主に仕える!”(15節)という宣言でした。