『 まず、神の国と神の義を』(マタイによる福音書6:25〜34) 2011.5.22

エス様の一生の願いはどこにあったでしょうか。私たちはそのことを、イエス様の公の生涯の第一声から確認することができ、また、最後の場面を通して確認することができます。まず、公の生涯の第一声、“神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。”(マルコ1:15)それから、復活され、天に昇られる前の40日間、弟子たちに最後まで神の国について弟子たちに話された。”(使徒1:3)とあります。つまり、イエス様の全生涯の関心事は「神の国」にありました。そして、イエスさまは今日の御言葉を通して、今の私たちにも同じことを語られています。
あなたは今何に支配されているのか。“何を食べようか、何を飲もうか、何を着よう
か”という生活への心配か、じゃなければ、神の国と神の義か。あなたの人生の支配権を誰が、また、何が握っているかによってあなたの人生は変わるのだ、と。
神がご存じである。あなたに必要なものが何かを。キリスト者神の国と神の義を生活の中で実現していく人。神の国とは何か。死んでいく場所なのか。いいえ、決してそうではない。イエス様のお話をうかがってみると、神の国とは、私たちの生活の真ん中にすでに実現しているものであって、また、実現していくものであって、やがて来るべきものであることが分かります。これを神の国の過去、現在、未来と言えるでしょう。
2011年度の主題標語でもある「まず、神の国と神の義を」に合わせて、本日の宣教より、神の国に関して学びつつ、神の義を実現していく日々を歩んでいきたいと願っています。イエス様の例え話から、旧新約聖書を貫く神の御心を尋ねていきたいです。何よりもまず、私たちの教会を神の国と義の実現の場所として御心を成していくことを心かけることです。それと同時に、大震災の中、失望している人々に神の国の真の希望を伝えることができれば幸いでしょう。