2011.5.29

『 12弟子の信仰に学ぶ 』(ヨハネによる福音書20:24〜29)

今日の聖書のみことばから初代教会の信仰を学びたいと思います。
 トマスは疑い深い性格の持ち主です。頑迷で、言い換えれば科学的思考の実証型信仰者といえるでしょう。彼は結構ゴーイング・マイ・ウエイのタイプのようです。弟子たちがみんな集まっているときにも、彼は自分勝手で、その場にいませんでした。そして、弟子たちが復活のイエス様にお会いしたときいませんでしたので、他の弟子たちが「イエス様は復活された。私たちはイエスにお会いした」と伝えても、私は「信じない」と公言するのです。では不信仰かというとそうともいえません。真理を求める心は人一倍でした。14:5で、主イエスが父の元に場所を用意しに行く」というと、「どこに行くのか私たちにはわかりません」といいます。彼は分からないことを曖昧にしなかったのです。聖書は12弟子の一人のトマス、といいます。同じように、あの裏切り者とされるユダも12弟子の一人のユダ、と言います。ここに初代教会の信仰が反映しています。おれは信じないという者もイエスを裏切ってしまったユダも、皆大切な仲間なのだ、という信仰です。そして、その弱さを持った者が仲間とされ、一緒にい続けたところで、新しい恵みの出来事が起こったのです。
 トマスは、イエスの手に触れたでしょうか?脇腹に指を入れたでしょうか?私はそうはしなかったと思います。彼はあのとき、みんなが、見た見た、という中で寂しかったのかもしれません。イエスは見えません。仲間の信仰も見えません。その見えないものに目を注ぎ、言葉を信じることが大切なのです。先のバークレー先生は「透明なクリスチャン」になりたいと言いました。私を通して向こう側にイエス様が見えるようなクリスチャンということです。イエス様が透けの見える教会作りを!

                      金沢キリスト教会 田口昭典牧師