2011.7.31

『 逃亡か勝利か 』(ヨナ1:1〜3)
                           
主の言葉が臨む。ヨナは主の預言者。主の言葉が臨むとは、主がヨナを通して愛のみ業を進めると言うことである。預言者は、いつの時も主から言葉を託された。その言葉は、耳障りのよいものだけではなかった。時には、人に対して厳しい裁きを語ることでもあった。主の言葉が臨むと言うことは、主の期待と願いがそこに示されていると言うことである。自分がどう思うかを超えて、主が何を求めているのかを第一のこととしなければならない。また、主の言葉が臨むという表現は、神が新しいことを始めようとするときに、ご自身の働き人、預言者を通して語るのである。
大いなる都ニネベに行って、呼びかけよ。主の言葉は、ヨナに行動を起こさせる。今いる場所から、主の示す場所へ出かけていけ!ヨナは悪がはびこるニネベに行って、神の心を伝えよとの命令を受けた。立って、ニネベに行け!と決断を神は迫る。自分自身を変えることは難しい。他人を変えることはもっと難しい。まして、敵国の首都で、「あなた方の悪が、神、ヤハウェの前に届いている」と宣告することは至難の業であった。ヨナは悩む。ヨナは考える。ヨナは思い巡らす。そして、ヨナは、逃亡した。行けと言われたニネベとは反対のタルシシュに逃げた。  ひょっとすると、私たちもしばしば神の前を逃亡しているのではないか?神は、ヨナを求めるように私たちを求め、私たちを通して神の救いの業を進めようとしている。
恐れないで、正面突破で、課題に向き会いたい。全知全能の神を信じて勝利を手にするために。
                田口昭典牧師