2011.10.9

『ネヘミヤの祈りから学ぶ』(ネヘミヤ1:1〜11)
 最近の水曜祈祷会は恵みで満ちています。一人一人が神の前で祈るという、誰をも気にすることなく、ただ神の前に一人として神に叫び、また神の声を聞き、神と交わる恵みのひと時となっています。特に、大震災のあった時から、わたしたちの祈りは個人的な祈りだけにとどまらず、日本の国のために、隣人のために執り成すという、祈りの領域が広がっている喜びを感じています。神の家族がぜひ、忙しさの中で、静まって祈るひと時を通して今まで味わえなかった神との深い交わりの恵みに与ることを願いつつ、今日は祈りの人ネヘミヤの姿から御心をいただきたいと思います。
 イスラエルがバビロンに滅ぼされ(紀元前586)捕虜として連れ去られた後、ペルシアのキュロス王によるユダヤ人の解放、また、エルサレム帰還が許されました。その後、ゼルバベルによる神殿建築とエズラによる神殿礼拝がなされることになります。しかし、まだ、城壁は崩れたままで、エルサレムの町は荒れ果て、帰還した民らの生活は大変なものでした。その時、ペルシア王の献酌官であったネヘミヤは祖国イスラエルの状況を耳にすることになり、早速祈りの場へと進みます。
 ネヘミヤは祖国イスラエルの話を耳にした時から、心から嘆き苦しみます。そして、断食しながら神に祈りをささげます。祈りは愛の現れです。愛する対象の痛みは自分の痛みとなり、相手の傷は自分の傷となるのです。ネヘミヤは祖国の痛みと苦しみを自分のものとして受け入れ、それを祈りの場へともっていきました。
 まず、ネヘミヤは悔い改めの祈りから始まります。神と人との関係を妨げるものは罪です。まず、罪を神の前に告白し、取り除いていただくことです。それから、ネヘミヤは神の約束に立って神の助けを祈ります。彼は神がどのような方であるかを御言葉から知っていましたし、神が約束した御言葉を信頼しそれに基づいて祈ります。最後に、ネヘミヤは祈りにとどまらず、具体的実践へと移ります。祈りはわたしたちを神の御業の働き人へと導いてくれるのです。